火曜日, 4月 18, 2006

積極的に話す人

僕らが企業ビルに着いたときは、ちょうど朝礼を行っている時間だった。
面会して下さった方の、本日の初仕事は、この場であろう。ブラインドに、百メートル道路を車が走っていくことで出来る、色の移動が見てとれた。
マクドナルドの朝マックだけでは、何も満たされない。市内だから、ワイヤレスランが走っていた。殆ど意義はそこにあるのだろう。
福岡氏と反省会をするつもりだったが、後悔会の様相を帯びてしまう。さっきの面会のことではない。もっと前、昨年のあまい判断についてだ。
自分で自分の首を絞めるようなことになっている。
毎度のことかもしれないと、誰かが携帯メールによこしてきそうだが、そう思う。

電車の中でも寝て、部屋に戻って数時間眠った。

夕方より、児童館で絵画教室。「似顔絵」と言わず、「友達の顔を描く」と言うことに努める。子供たちは積極的だった。小学一年生と二年生では、抱えているものや性格がよりはっきり見えてくる。三年生では尚更だろう。独特の対策が要るのやもしれない。
充実したサンプルや道具、準備かと直観はあるので、それを軸に向かおう。

終わって、迎えに来てもらって、次の収入先へ送ってもらい、深夜までアルバイト。本日は労働者だなぁ~と、変な冗談を言った。
北名古屋市市議選、市長選の広報を読むが、どれも同じ印象でよく分らない。白紙投票とか、参加そのものをしないとかは、望ましくないと僕は考えている。な んとか一人の名前を決めて、揺れ動くものに触れておきたいと思う。選挙の結果によって、町が前進するか後退するかなどは分らない。これは一種の賭け行為 だ。だから、この後で未来が「揺れ動く」と表してみる。
消去法ではなく、積極的に選んで投票したい。
しかし、政治家というものは、お金がないと立候補できないということは勿論、選挙活動という行為自体を抵抗感無く活き活きと行える性格でなければなれない のではないだろうか。やはり引っ込み思案な性格の人間ではなく、人の前に立ち、マイク演説を汗だくでして、悦に入るような人間でなければ、政治はできない のか?
このような人種のみで政治が行われるという事実を、社会の点検として分析批評してみたく思った。
代表者議会制度。ローマにおいてだったか。
帰って、ぐっすりの意向。