火曜日, 8月 06, 2019

ヤプログ!の終了

このブログも放置になっているが、もっと放置していたのは以前のブログで、消去はしていなかった。
そのブログサービスは「ヤプログ!」というやつで、中川翔子のブログで人気となっていたサービスだ。2000年代初頭、iMac DV で、ISDN 接続し、せこせこと書いていた。小松亮一氏との詩の朗読、ブルーマヨネーズや、有馬かおるさんが運営されていた 犬山キワマリ荘に通っては展覧会をしていた頃、自分の、日記と詩の間を浮遊するブログが漂っていた。来年の1月末に全て消されるらしい。
データとしてのエクスポートや、製本サービスも充実していたので、早々にダウンロードを行ってみた。
製本もしたいけれど、頁数オーバーで一冊にまとめられないとエラーが返ってくる。PDF を刷るのは大変だ。もう少しあとですることにして、最近は Twitter 中心で、短文ばかりでストレス発散しているなぁと思う。ブログのように、長さを気にせず書くことは大事だろう。なんて月並みな提言を自分に返す。
最初の日記は、2000年の12月4日(月)だった。
猫の鬱はいくつだったのだろう。2才で、自分は 21であった。40過ぎなんて本当に Dont'trust なんちゃらの先にあって、まぁ、楽しく生きさせてもらっている感謝はあるものの、第一詩集は「猫の鬱」という題にすることは宣言している。

https://yaplog.jp/jinm/


水曜日, 1月 16, 2019

バレットジャーナル覚え書き

昨年の11月から「バレットジャーナル」なるものを試している。もともと、手帳術や、仕事術、ライフハックの類が好きで、読み漁っていた。
「バレットジャーナル」は「LEUCHTTURM 1917」に向いているとよく紹介されていて、偶然にもモレスキンのドイツ版だと私は騒いでいたから、頁にノンブルが付いていることとか、目次頁が最初から用意されているなどの要素がうってつけなのはすぐ理解できた。
同時に、こうも推奨されている使い方をやっていいものかという天邪鬼な気持ちも沸き起こっており、お洒落な雰囲気にたじろぐ気分もあって、積極的に行おうとは思っていなかった。
「スケジュールをつくるためのスケジュールが必要」というのは、よくぶつかる壁だろう。「バレットジャーナル」の紹介でよく出てくる規則は、どうもそういった面倒くささもつきまとう。
システム手帳が好きになれない気持ちと似ていた。

誰かが紹介ブログに書いていた「自分流にアレンジしてしまえるところがバレットジャーナルの魅力」という一文により、背中を押された。
マスキングテープを貼ったり、蛍光ペンやイラストを描きこむようなことは一切しない。
目次と、フューチャーログ、マンスリーログ、デイリーログ(基本的なバレットのマークにに「目のマークの注目」を追加のみ。)、見た映画リスト、緊急連絡時メモ、それに状況に合わせての勝手な使い方。手帳の紙自体は無地にする。応用だらけ。

メルカリで A5サイズの「LEUCHTTURM 1917」 無地タイプを購入。店舗より千円くらい安かったのと、真っ赤な表紙に惹かれた。
騙されたと思って二ヶ月くらいと試している。

良いなと思うのは、
・バレット自体は縦に並べたほうが、デイリーログで進捗を見渡しやすい。
・バッテリーも気にせず、すぐに過去のメモを見渡せるところ(これは手帳の良さか)
・「LEUCHTTURM 1917」自体の魅力は色褪せない。

バッドポイントは、
・A5サイズは大きいが、重く、持ち運びに不便。
 より持ち運びに向いているスモールサイズか、紙は大きくて軽いB5ノートでもよかったかも。
・この「LEUCHTTURM 1917」はブックマークが1本のみのつくりなので、それが少し残念。

くらいである。
覚え書きをしておく。
スケジュール管理は Googleカレンダー に覚えさせているので、バレットジャーナルは思考のためなのだと、このブログを書いて意識する。それは何だ?

http://bujo-seikatsu.com/2017/07/28/getting-started/

月曜日, 1月 14, 2019

猫の鬱 19歳



ゆっくり眠れる幸せが、掛け替えの無いものだと猫の鬱を見て思った。
四分で力尽きた詩の朗読を日中に聞き返そう。

https://www.youtube.com/watch?v=0s6VQmdCmlQ&fbclid=IwAR2dmdNHK3gpFSzGOzW6TQEqvsRI3YMKIQft8XvCbG--RhqsFVqLEtpuF7s

火曜日, 1月 08, 2019

平成最後だと騒ぐ文言には呆れたい

新年の挨拶を躊躇ってしまうくらい、年始の感触が薄い。
それは催事を全く体験せず、自業自得なのだが大晦日に発熱し、元日の休日診療所でインフルA と診断されたからで、隔離されての孤独な正月と年始の日々だった。いや本当に孤独だったなら、治療すらままならず、のたれ死んでいただろう。ドヤ街の映像をこういうときに多く見てしまい、天涯孤独なんてもんじゃないと嫌な心理になる。上には上がいると見るとき、下には下がいると。
しかし体験の時間をやり直すには幾らかの演出が必要だろう。もっと冷静に語るべきは、猫の鬱が、そうこのブログのタイトルである猫の鬱が、五日ほどの失踪を経て、近所で保護されていて、年末に電話連絡が入り、保護されていて無事に帰還してきたことを。もっとも賛辞しなければいけないのだとは思う。
賀状には「さよなら猫の鬱」と名付けられそうな絵を描いていた。
それも含めて、やり直す時間を設けないといけない。
自分でも思ったより形式的なものを信じているようだ。
SNS ひとつの区切りなど、何の意味もなかろうに。

flexible は Netflix と見た目も似て。