水曜日, 3月 31, 2010

中空の磁場

PE 打ち合わせ佳境。部屋掃除も佳境。そのうちにしようと思っていた CS4 のインストールを置いたまま、CS5 が出ると聞いてしまう。ほとんど CS3 で事足りてるのだけど。まーそんなもん。Mac の中身も掃除してから導入する。次なる言葉も打ち合わせしてから導入する。自分の体じゃない中身の。

火曜日, 3月 30, 2010

平仮名からの露呈

日中、ずっと各地の掃除。奇麗にする度に、することがクリアになる。保留と言う名の放置は多く、自分のだらしなさを思うと恥ずかしい。昼夜を問わず触れているのはみんな画面の中に収まっていて、うごめいているものがうまく見れずにいる。いまの布陣が手に取って把握できるような作りをどう設けよう。
好きだと教えられたバンドが NHK に出ていたのを見た。
何をしても砂を噛んでいるようなところから抜け出して突っ切りたい心情は、ハイソな物言いではなく、平仮名からの露呈したぶつかりにある。把握とは呼ばず、そのまま動いているじゃんよ!これさ!と親しげなふりで。
「ロックンロールは鳴り止まないっ!」(詞, 曲, の子/2008)。

http://www.youtube.com/watch?v=KF40Elzrupg&playnext_from=TL&videos=SoH4ZHLF1yE&feature=recentf

月曜日, 3月 29, 2010

強い風が吹いたり

寒いのは筋肉や骨にとってもよくないそうだ。接骨院の先生は、気にし過ぎるのもよくないと諭してくれた。集中力は容易に得られない。それぞれの背骨が違って、拾う言葉も違うから、食卓はたくさんになるけど話しは完結しない。終わらないのはとてもいいことで、限定配信も御国の規制にもかからない自由の背骨である。そのために言葉を飲むこともあるかもしれない。家では音楽を聴けるようにしておいて、飲んだ言葉をそこに託したり、本棚には一冊くらい読めない詩を立てておいて、互いの言葉を懸けるのがいい。

http://www.youtube.com/watch?v=wFC6vGxT0GU&feature=related

日曜日, 3月 28, 2010

おめでとう、おふたり "僕らは泣いて"

花を積んでいく彼女。同居する友達にあげるって。隅から隅までの幸せを持ち帰る。歌と詩と映像はその時だけ僕らにあった。咲かせる花はいまにあって、画面の下から上へ流れた。愛のあふれる二人の両親が声を交わすのは先生のため。子どもたちは自分のことでもないのに感動しちゃったと言うが、振り返りそれは自分のこと。島を渡る私のこと。どこからかやってくる猫のこと。互いを持つのは私だけ。ぶつかってくれたのは先生だけ。僕らは泣いて、かわいいと言われてはにかんで、上着を脱いで、サロンパス臭くて、君に画を送る。死ぬのを選ぶまで。子どもが恥ずかしがるように終わらない話だ。いつまでも自分に感謝をし、移動電話の口を生かそう。やさしい人がいた。春の言葉を拾う人がいた。

土曜日, 3月 27, 2010

砂利の上で君と寝る

湯けむりはけむたくない
汗も苦しくはない
水を買ってきてくれる君
声は小さくてもいい
今のためだけだから
口を開けて寝ていた
三時間近くは
子どもが砂利を数える音と
明日を置いておこうとする身は
鬱の独白につきあってくれるほどじゃない
弱い人ではなく
砂浜で寝たい
枕木を抱いて
電気を消して
皿を洗って
おやすみのために

金曜日, 3月 26, 2010

扉はあなたに

豊田市美術館〜喫茶、買い物 後に飲み会という春前ツアー。
車内でかける CD はフォークとテクノの繰り返し。引用と自作自演にまみれた冗談の繰り返し。「知覚の扉」と銘打たれた展覧会は揺さぶりの繰り返しで、視覚にまつわる集積へ入っていく。「知覚の扉」という言葉はとても広い。その言葉を以て美術館が何をするかというとき、美術は視覚から導入される芸術なのだと思う。夜は飲食から導入される扉だった。
久々に福岡食堂へ集まった面々へのストレッチングで、朝は身体をほぐし返そうという鍵かもしれなかった。人の可能性なんて言い出すとガンダムオタクを丸出しだけどそこから忍び寄るしかなかった。

扉はあなたにあって鍵もあなたが知っていると私が話す。

http://www.museum.toyota.aichi.jp/exhibition/2009/temporary/chikakunotobira.html

木曜日, 3月 25, 2010

入稿の日

ここのところ取りかかっていた冊子編集を一段落させて入稿に至る。
呆れたことが原因で疲れているのかと自責する。どーもここからは体力勝負なんだと反芻し、バックアップ。根性論だけで乗り越えられない壁のためにバックアップだ。
入稿の日、暗くなっていて飲みたくなるけど我慢して帰路につく。

水曜日, 3月 24, 2010

構想の精度

問題が山積したとき、話し合いが面倒なところは置いていかれる。
そのままでは ただ頷いているだけで落ちていく。
人気者の楽しい話が精度を持つとは決して限らず。
つまらない駄洒落は権威的な思い込みの現れのようだ。

圧倒的な精度の高さを持って問題を取りあげるために、共有する場が要ると思った日だった。

火曜日, 3月 23, 2010

はるながに Party

紆余曲折の旅は始まりの部屋に落ち着いた。

三島由紀夫が手紙をしたためたとき、愛用した結びの言葉を持って、旅は繰り返されていた。
いま「第一の性」をいつも鞄に入れている。
女子に自慢するためじゃなく、男同士で慰め合うためじゃなく。
これからさと言うのは容易い。雨はまた飲む度に強く降る。先生は元気になって明日卒業式だと笑っていた。春はまた来年も再来年もやってきて、その度に優しくなるだろう。

月曜日, 3月 22, 2010

詩人会議 Ust で懐疑

朝に起きることができて、Twitter で昼夜逆転を憂いでいたから報告をしようとしたらタイムラインは止まっていた。
マスメディアなんていらないと飲み明かす奴等を見ながら、ネットに執着している身を自ら憂う。
そして夜に寝ることに失敗する。報告には事欠かない。鉄砲水のごとくタイムラインは走っていて、自分で宣言した詩人会議を懐疑する羽目になった。
春からは浮浪者のままではいられないと生活の柄を見る。無地じゃないはず!悪趣味で元気な。

日曜日, 3月 21, 2010

I am GOD's Child.

氷で薄くなってくるオレンジジュースと煙草で、親にメールするのを置くことにした。
「月光」(詞, 曲, 鬼束ちひろ/2000)を口ずさんで帰る三人。
月が出たら歌うことにしているみたいな経緯だった。
大人になれたら まぶたの上にキスをするよと返し、
次の夜にはカレーを食べた。
元気でねとメールが行き交う。
シンクに鍋と皿を積む。
朝には自分が洗う。

http://www.youtube.com/watch?v=JU0v8ZHV1SM&feature=related

土曜日, 3月 20, 2010

出て行くのはおめでとうなんだ

夜中に出ていこうとしたらまだ大雨で
朝には赤ら顔が恥ずかしい。
歌い終えたら出て行くしかないけど、
まだ思い出すことができる。

金曜日, 3月 19, 2010

21世紀少年はいない

「20世紀少年 -最終章- 僕らの旗 」(監督, 堤幸彦/唐沢寿明、豊川悦司、常磐貴子、平愛梨/2010)を DVD で鑑賞。一章、二章は映画館で見たが、だんだんトーンダウンしてきて 最終章はレンタルだ。
漫画原作の読後感と近く、大団円なのは賛成だけれど腑に落ちない。物語を引っ張てきた「ともだち」の謎が炸裂するところが、ここまでの膨らみ方に対して物足りない。「ともだち」の顔をしっかり見たいという解放的なショットは映画のほうが感じられた。それでも、そつ無く終わらせたというまとめ感が寂しい。お話をなぞるシーンの連続で終わる。
悪を作り出していたのが自分たちであるかもしれないという表裏一体の「友達/ともだち」のざわめきを、ケンヂ一人が背負い込むかたちでエンドに持っていくのはどうも違うんじゃないかと思ってしまう。一人のヒーローが完結させるという物語が、20世紀的であるということなんだろうけど。ともだちをケンヂやカンナが憎むだけでなく、愛情を含んでしまったり、ともだちがボブレノンを口ずさんでしまうとか、勧善懲悪を超える 21世紀が欲しかったんだ!

http://www.20thboys.com/

木曜日, 3月 18, 2010

非実在青少年の悲しみと怒りはここにあふれる

東京都の青少年育成条例改正案で「非実在青少年」という造語がつくられた。
アニメや漫画などのなかで描かれる、非実在の彼や彼女たちの姿態も問題視するというこの見方はとても一方的で悲しく腹立たしい。
「表現」を重視しているようで、項目や概要だけで規制しようとする軽視がある。

規制をかいくぐろうと隠語的に性を描く表現のほうが、規制など無く単純にえげつなく描きまくるものより優れているとも限らない。
様々な表現があり、要素が複雑に入り組んでいることが、豊かな文化の面白さだ。
この規制はとても貧しい無菌室へ子どもたちを誘ってしまう恐れがある。
健全とされる一方的な独断と偏見を行使できてしまう悪法であろう。

詩だとて無関係ではない。
裏側に練り込んだ いやらしさ、唇と体の動き。
そう読めるものは統制される。
何も言えなくなる。
ここでこんなことを言うな 空気を読めと叱られるのではなく、そもそも言うなと口を閉ざされるとき、言葉はいびつな涎となって空気は汚れてしまう。

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1003/09/news103_2.html

水曜日, 3月 17, 2010

体の中でひっくり返るものを目の前に出して

手もとの iCal には PE打ち合わせとあって、それまでずっと某冊子の編集作業。PE の話は深夜確定でまたひっくり返るものを自分は引き受ける? それは格好を付けているだけなのだろう。音楽以前の音はメロディの伸縮を持たないが、原石の直下を持つか。言葉の牽引役は綱に足下をすくわれる。どうしても言うしかないと我々は煙草なんぞを吸ってみた。体の中でひっくり返るものを目の前に出して。

火曜日, 3月 16, 2010

うるおされるのよ

画力とはいろんなところで応用されて発揮されるものだなと思う。感覚はどこにでも顔を出す。
当たり前なのだが、感覚の喜びが枯渇すると事務的な進行しかできなくなる。
そこのバランスがとてもたいへんだ。猫もきっとたいへんなのと楽しいのと感じながらやってるんだろうなと思う。寝ることを推奨するのはお小言じゃないんだ。

「お陽様みえたらふとん干して」(詞, 土佐正道 /曲, 土佐信道/1996)。

http://www.youtube.com/watch?v=DYyRCoNue-A&playnext_from=TL&videos=3d-45jXh9tE&playnext=1

月曜日, 3月 15, 2010

エピローグはそれからのため

一昨日の夜は映画の打ち上げ。
夢を掴む男のエピローグを聞き。
昨日の夜はトーク後にキワマリ荘で懇談。
言葉の定義を見つけるのが会話じゃないかと話す。
それからとんでもない睡魔に襲われた。
よく眠って DTP 冊子作業。コマンドZで戻っても、時間は戻って来ず。キャンプのエピローグに駆けつけられなかったのが悔い。今週は冊子をやっつけねば。
晩の帰りは酷い雨。

写真は藤井一喜氏によるドローイングブックをめくる村田の左手と右手で撮影したもの。
彼の漫画原稿を預かった。
楽譜と一緒に机の上の本棚に立てる。

日曜日, 3月 14, 2010

読んでいない本

ブックマークイヌヤマ内企画「第一回 読んでない本大賞」でのトーク参加のお誘いを頂き、フランクな姿勢でトークに参戦。
このために本棚を眺めたのはとても興味深いことだった。
読んでいない本、読了していない本が殆どだったのである。詩集など持っているだけで満足している。読まなきゃとは思うが、読みかけばかりだ。開いてすらいない本というわけではないが、読んでいない本だと認識するとき、本と人は時間を共有するものだと思えた。読んでいない本は 愛憎に別れるものであり、どうでもいいものではない。
昨晩この話をしていたとき、三十過ぎまでは本を溜め込み、あるとき突然むさぼり読むようになったという話をKJ先生から聞く。それはリアルな感触だった。既視感に囚われているこの頃、そこから解放するのは必然的な読書だろう。

会場の旧堀部邸の庭で出店されていた古本一箱市にて 三島由紀夫の「第一の性」(コンパクトブックス/1964)と「タンノイのエジンバラ」(著, 長嶋有/2002)購入。徒然舎というお店で第一の性を、タンノイは若い夫婦のようなお二人から。曽我部恵一の放談が載っている雑誌「COOKIE SCENE」(2001)をおまけしてくれた。

「第一回 読んでない本大賞」には「読んでしまうとその本が終わってしまうから」と語られた飛び入りの方が満場一致で受賞された。「本は読んでいなくても始まっているんだ」とも言える。

http://twitter.com/bookmarkinuyama

土曜日, 3月 13, 2010

大人びていくのは

自分は自由だとずっと思っていて、現にそう。制限しているのは自分の判断と能力だと思った。
ずっと前に購入していた はちみつぱいの十枚組 BOX をまだみんな聴いていなくて、ひとまず封を開けて取り込む。当時の彼らは二十代半ば、MC で遊んでいる感じはとても若い。けれど音楽は既に成熟している。
大人びていくのは煙草や酒のせい。詩人だと言わせるのは自分が読み書きしているもののせい。明日は犬山にてあるイベント ブックマークイヌヤマの「読んでいない本大賞」でトークする。その為に本棚を眺めていたら、ほとんど読んでいなくて、なんだか元気になってきた。

金曜日, 3月 12, 2010

どこにいてもまばたきをしている

光と音の連続を構成する工作をどこにいてもしていた。
映画のためのジャケットを刷るのをサポート。監督は外へ出たら本を書くと言う。
「FLAG」(shusukewildrabbit's Channel/2010)という YouTube で届けられた映像を見る。
外から光があって、どこにいてもまばたきをしている。

http://www.youtube.com/watch?v=J31ghC6reCk&feature=channel

木曜日, 3月 11, 2010

どんぐりの背比べ

自分はおそらく見た目より傷ついていると思い込んでいるふしがあって、それを通す度に何もできなくなるものだった。アートだなんだと言い出す前に元気な人と話していたい。暗い人でも元気な人というのはいて、問題を明るく媒介してくれる。徹頭徹尾 自分はたいへんなのよとしてくるのには疲れるだけで、どこまでも幸せなんですと言われるのも同じで。行き場の無い歯車が昼夜を問わず回っている。飲む度に愚痴っぽくなるのもそんな癖からだろうと思った。そんなときだけ話を聞こうとする自分は保留したかった。簡単なところすぐに眠くなってしまう。自分がいちばん疲弊しているんだと身を以て自慢しているようなもので どんぐりの背比べ。

水曜日, 3月 10, 2010

机の上から飛び降りるときコップを机へ投げ返す

自分の作品と詩について質疑応答をする機会があって、小一時間ばかり話していた。
昨日も、とあるギャラリーにて何故こんなことをしているのかという話になり。今日は北風が吹き荒れるなか人の絵を運びながら これからどうするんですかと聞かれるのであった。

言葉にもっとあがく。文字の姿にとどまず言葉が立つとき、詩があると思う。と
読み込まなくても、一瞬で見える詩。
そこから永遠に泳ぐことのできる詩。
で、具体的に何ですかとペットボトルのお茶が置かれる。こんなときに珈琲じゃないのが現実らしい。
何故そこにこだわるかを語れ。

火曜日, 3月 09, 2010

Sound and Affect Vol.1

information です。
◆ PHONO-ELECTUS のメンバーとしてライヴに参加します。

「Sound and Affect Vol.1」

日時・2010年4月4日(日)
   開場 17:00 開演 18:00
   入場料・前売り 2,500円
       当日 3,000円
会場・Live & Lounge Vio
   愛知県名古屋市中区新栄2-1-9 flexビルb2 (map)
出演・
 毛利 桂 (ex.Busratch,turntables) +Tim Olive (音響, etc )
 菊池行記 (electronics) +来島里奈 (Violin)
 河村陽介 (electronics)
 鈴村由紀 (dance)+堀嵜ヒロキ(drums,percussion)
 すう (performance) +イトウカズヒト (Violin)
 PHONO-ELECTUS
  山田 亘 (pipe auros, magnified sound, recorded voices)
  村田 仁 (sentences, voices)
  福岡寛之 (bio-rhythm)
 miu (slideshow)
 DJ Mars 古田一晴 (DJ)


雨が降る。岐阜だ事務室だ展望台だオペラホールだと行ったり来たり。雨のせいで寒いが、マフラーを濡らすのが嫌で首周りは剥き出し。

http://jinmurata.jpn.org/301/101_information_011_sounda.html

月曜日, 3月 08, 2010

第一回 読んでない本大賞 〜 丁寧にやれよという監督

information です。

◆「第一回 読んでない本大賞」に参加します。

ブックマークイヌヤマ」内 実行委員会企画「第一回 読んでない本大賞」
日時・3月14日(日)
   15:00-18:00
会場・旧堀部邸
   愛知県犬山市犬山南古券272(map)観覧無料 予約不要
---
参加者それぞれが「読んでない本」のエピソードを発表しあい、そのエピソードの面白さと妄想度などを人気投票して大賞を決める、という参加型のトークイベントとなっております。
色んな人の読んでない本の話を聞く事で、それぞれの方の本の接し方を知る事ができるとともに、
それぞれの人にとっての「読書」さらには生き方までが透けて見えるのではないかと思っております。(主催者文)
村田、詩人としてこの大賞にノミネート?! 有名書店の店長さんらが参加!迎え撃てるか?


オロナミンCを買ってきてくれた監督は、君には丁寧にやってほしいと言ってあげていた。
僕は嬉しくて振りかぶった。男の子はみんなピストルが好きだから。

http://bookmarkinuyama.jyoukamachi.com/event05.html

日曜日, 3月 07, 2010

まだ広がるものだから

サウンダメンタリズム2。
今回は五組でまたもや より濃厚。
ここまでのコンフリクトがほどけていくのは、一杯のワインか一つの音か。
どちからを読むより、今夜は絵と音楽と声の重なりで「PV」を読む。
まだ広がるものだから縮こまらずに。
打ち上げの後、夜道に鍵を投げて遊んだ。
かわいい顔も本当はしていない。みんな異様さを以て 表情筋を上げている。

http://jinmurata.jpn.org/301/101_information_010_sounda.html

土曜日, 3月 06, 2010

冒険には恋心が要る

京都造形芸術大学の大学院修了展を見る。詫間のり子さんにメールで案内してもらっていたにも関わらずまた降りるバス停を乗り過ごしてしまった。これで二回目なので呆れることもされなかった。いいから行きましょうというところ。詫間さんの作品はこちらを見ていた。森は向こうでもこちらでもなく嵐の前の静けさに目をやっている。
オープンスタジオを大学院の小宮さんに案内して頂く。ストイックながら野心のある作品群には気品があると思った。

名古屋シネマスコーレにて 名古屋芸術大学大学院の修了制作、神大輔氏による映画作品「トリューシュの冒険」(監督, 神大輔/西松秀祐、矢田絵莉/2010)を鑑賞。満員で立ち見。
監督はスクリーンの上で裸になる。カメラは欲望の動きで、冒険には恋心が要る。荒削りで下品でも求める志は高い。それには労をねぎらって路上で乾杯。

金曜日, 3月 05, 2010

PV 打ち合わせ

一日が過ぎるにつれて 重複コンフリクトがじょじょに剥がれていく。
朝にキャンプ地との往復過ぎて、昼はサウンダメンタリズム2 の打ち合わせ。
「打ち合わせ」という言葉は雅楽から来ていてで、楽器を打ち合わせるところからだと聞いた。だからサウンダメンタリズムにはちょうどいい。
岡川卓詩さんとの「PV」のアイディアと方法を探る。口で言っていても実際に試しながらが一番よく進む。その感触自体が良い傾向だと思う。夜は売り子スタッフの黒田さんも来てもらってスーパーへ買い出し。結局、卓詩さんの車にお世話になってしまった。帰りに二人で ラーメン福にてモヤシたっぷりのラーメンを食べた。ラーメン福はやさしい味でいい。長いことやっているというのには支持される理由がありますねという話と、学生時に聞いた話などをする。
重複コンフリクトのせいか実に眠く、いつものことだが調子にのって軽いことを言っていた。

木曜日, 3月 04, 2010

男は毎晩跳躍する

レンダリングと絵の具が乾くのは似ているかも。
アイスダンスとフィギュアは遠くから見れば同じだけど、回転ジャンプの無いフィギュアなんてありえないぜ。戦闘の姿勢が評価されるべきなんだ。
男は毎晩跳躍する。
雨と揺れから解き放たれん。落下ではなく着地に。愚痴ではなく批評へ。

水曜日, 3月 03, 2010

友人たちが吸っている煙草と弟の安堵

岐阜の駅前ビルでキャンプをしている友人たち。
本を読むなら犬山だと魔王に公言させた友人。
安いところへ流れていくことはやめて 川の流れのようにを歌うために酒をかっ食らっている だいの大人が。
またある友人は さよならコンサートを来週もするからと笑いかけ、社長、社長と笑いかけ。
キムタクも社長らしいし次は主演だ映画だ監督は油画専攻出身多いって、小さい頃も大きくなっても同じ大きさの漫画を読んでいます。
弟の安堵するファミコンいまは DS か X-Box らしく、破壊と再生を犬や猫に託すのはいつものこと過ぎて逆に安堵した。
煙草をやめたという写真もまた同じ大きさで、音符マークが封入されているみたいだ。
モンパルナスの灯に憧れた僕と友人たちは あのときに青い炎を撮影しなかった僕をまだ恨んでいるだろうか。

http://art-camp.blogspot.com
http://bookmarkinuyama.jyoukamachi.com

火曜日, 3月 02, 2010

おしまいを呼んで

ジョゼと虎と魚たちと男たちで見た数年前の失格の独白は何処から肥大しはじめた?
君の読み上げは朗読ではなく語りかけで、声がすがる様(さま)をぶつけているんだ溜め込んだ白い顔で。お風呂がいいねとたくさん読んだよ。テープを貼られた窓から落ちるのを光と呼称しないであれは何処にも刷り込んではいけない目論見だ。肥大して見えなくなった背中の傷から放たれる誰にも聞こえなかったはずの声がある。君は一枚ずつ返す様(よう)。本は肥大せず生まれたままで見知った国に寝ている。猫の鬱が温めてくれていると思う。僕が勝手に思っている。

http://www.youtube.com/watch?v=H0jXfEx0hq4

月曜日, 3月 01, 2010

煙から眩しさがあふれる

夢追い人ほど、他人の夢を意地汚く感じてしまうのだ。
文句ばかり言いながら、他人に納得する場合がときどきある。
それは自分の夢に尽力してくれるからなどではなく、照射の度合いだ。

君の夢が眩しすぎて僕の夢が見えないなんて!
目を開けるには君が端に付けていったヤニを、少しずつ吸っては慣らしていく。
具体性の無い夢がリピートされるよりいい。
煙から眩しさがあふれる。