金曜日, 4月 21, 2006

適当なテロリスト

昨晩の味噌蔵でも豪語していたのだが、つくづく選挙はテロだと思う。
今朝早くに、とある立候補者が大勢を引き連れて事務所から出発するところに偶然居合わせてしまった。その光景は、まさしく出撃の図で、彼らがいまから街中でぶっ放す爆音や利己的な言葉の数々は、表層だけニコニコしながら実に暴力的である。

昼より、また児童館にて絵画教室。本日、いよいよ最終回。
とても奇麗な子がいた。だがとても淋しい目をしていた。
大人が要求する絵を、子供がはじめから描けるわけではない。子供にはそれぞれが抱えているイメージが常にある。それは個性そのものであり、ストレスや何ら かの圧力、それに対する子供自身の様々な判断によって良くも悪くも変化する。絵に描き出されるものは、全て自画像だ。子供の描く絵に、その子が全て出てく る。
その浄化的な行為そのものを、大人の満足の為に抑圧してはいけないと思う。それは暴力だ。
私に一票入れろとがなりたてる大人と、大きく顔を描けと子供の画面に線を引く大人。どちらも自分だけが良ければいいというテロリストだ。
手段を選ばない。いや、手段を選ぶことをしていない。惰性か、無能か分らないが。これしか手段がないという状況での、テロリストとは違う。もっと適当なものだ。