泣き言を言っていてもはじまらない。これは教訓として、覚悟して走る。
昼すぎの地震は市内で察知したが、三重が震源地とは知らなかった。ケータイが無ければ何の情報も入らず、いまが何時かすらも分からない。こんな姿勢に問題 があるわけだが、逆に開放感なんぞも起こってしまったりもする。当の本人自ら紛失し、自ら足の裏に豆を作りかけてまで廻っているのにだ。
今日はまるいちにち、ギャラリーとモバイルショップをはしごしてしまった。こんなことやってる場合じゃないのにと、泣き言を言っていてもはじまらない。
なんとかケリをつけて、帰ってネットで震源地のことを知り、米国兵が架空国の市民ゲリラを鎮圧する銃撃戦の映画を悲しい気持ちで見る。家に電話をした。
そして捧げられていた色と風景を、地図に起こそうと思う。