土曜日, 10月 11, 2008

出会いということの不思議さと、猫のラムが好きな男と

それは重く苦しいものではなく、広く解き放つ決意だ。
気付いたときには人生はいつも半分以上を過ぎている。
なんて格好良いことを言えるような柄ではないが、兄弟も、姉妹も、肉親も、義理の親も、友人も、みな意識をする。
こんな海辺の、陽がそそぐ式場にでもいたら。
その後の宴は知らない。
ただ、僕にはビデオとスチルのカメラを交互に切り替えることが仕事だった。そのニッチに食い込むことが自分の意識だと既に確信してやってきているのは自分の心境に向けて、言わずもがなだ。
おめでとうおふたりをまた詠む。
何度でも意識を確かめていい。