かつて「世界の縮図」と私が呼んだ祭。それを自讃しながら、今年も迎えた。
類に漏れず縮図であった。
超管理社会、先制封じ込め体勢が敷かれている。
自治などは有名無実の代物で、あらゆる迎合に誰も逆らえない。何が必要なことか、誰も一人ではわからない。
そんな地表の上の 60億などおかまいかなく、天から強い雨風が容赦なく降り注いでいた。
板とテントハウスで、難民収容所のようなユートピアを建ち上げるためなら、ずぶ濡れにでもなる。
これは「だんだん世界がとじてゆく」だと思った。
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僕らが世界の果てにたどりついたとき
僕らはどこへ行けばよいのだろう?
最後の空がついに尽き果てたとき
鳥たちはどこを飛べばよいのだろう?
草木が最後の息を吐ききったとき
どこで眠りにつけばよいのだろう?
僕らはそのわずかな血で
僕らの名前を記すだろう
僕らはその翼をもぎとり
僕らの肉がうたう歌をききながら
その命を終えるだろう
最後に残されたこの小道の上で
そう ここで この土地で
僕らが流した血のうえに
ここからもあそこからも
オリーブの樹がなるだろう
「だんだん世界がとじてゆく」(原詩:マフムード・ダルウィーシュ 訳詩:イルコモンズ)
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