写真も詩も、悲しくて痛かった。
奔放に見えるようで、荒木経惟は「空だけの写真ではグッとこない」と語る。
また理路整然と言葉をまとめているようで、谷川俊太郎は「ごめんね空」と呼びかける。空は人間の比喩でも、誰のものでもなく、ただ空だ。そこに何かを見ているのはこちらの勝手。
どこまでもどこまでもどこまでも勝手。
だから悲しくて痛いのかと思う。
思ってみる。
本日、部屋に籠って、自分の作品ファイルまとめ。とあるコンペに出す為のもの。籠るのはまずいなと、夕方に宅配便の店へ行って帰るときに携帯のカメラでパシャリ。
頭のなかで言葉にならないものが疼いているのであろう。
いま思い返せば。
夜に、電話口でそれらが溢れ出る。
この部屋はお外と同じくらい寒い
待たせているのは
もう同じだ
涙は
熱湯になるのか
ぐらぐらと
冴え渡って
見せてくれないか
この部屋はお外と同じくらい寒い
膝こぞうに
湯たんぽを
のっけてあげたい
湯たんぽのなかで
猫の鬱がのぼせるよ
顔だけすぽっと
出してくれる
明日は
詩を
書く
一日に
します
空は
僕の涙腺ではもうない
空は
空だ
声が
聴こえると
温かく
空が
見えるのに
喜ぶ
