月曜日, 1月 08, 2007

夜露死苦現代詩

「夜露死苦現代詩」(著,都築響一/新潮社/2006)にやられる。鬱積していたジレンマを横すっぽ叩かれた。
職業詩人、一握りの特権階級面は如何ほどか。
詩人は超越しつつ人の心を掴んで離さない技をやってのけなければいけない。
できなければ詩人ではない。
自己満足のコミュニティに陥るのが関の山。
そもそも文壇や画壇がまともに機能していた時代からのフィードバックはもう面倒だ。
現代詩のフィールドがなんであるかを論じるのは空しいことになっていく。
鬱積していたジレンマとは言葉へのしがらみや世間体でしかなかった。そんなものは吹き飛ばして、生きるための言葉はやってくる。
ちくしょ〜。
超越した凄みをみせつけあいたいぜ。
情けないことはもうやめて、
俺は自然に愛した言葉で紡ぎだすよ。
ギョーカイより抜きに出るんだ。
なにがなんでも抜きに出るんだ。
って、いう思考自体が既にみみっちい。生きるための言葉はそんなカテゴリめいたものではない。
そう読む。
モテたいだけでは足下にも及ばない。
そんな極少からの一歩でもましか。
さあシュプレヒコール。
現代詩を夜露死苦!
マフラーをよろしく!
少女をよろしく!
少年でよろしく!
帰っていく言葉によろしく!