木曜日, 9月 28, 2006

君が言葉を追いつめてくれている

日々は濃厚。ドイツで、100%ジュースは「saft(ザフト)」と呼んだ。とても美味しくて、僕はそれが大好きだった。「自分100%」は既に当たり 前。いまや、気持ちは何を見てもザフトと呼ばせる。濃縮還元で無理に満たすのではなく、自然に濃い。そしてこれからまだまだ美味しくなるだろう。

ゲオーグにメールを送る。ノリクンにメールを送る。mixi 内をうろうろしてみる。原付でフィルム現像をお店に出しに行く。英語で現像出しを何て言うのか分からなくなる。駅ビルのデパートが改装して、ダイソーが 入っていた。もうこれでセリアという既存の百円ショップには行かん!と豪語する。中山氏らは知っているであろうか。本屋もレコード屋も大きくなっていた が、一番のトピックスはダイソーの登場だ。こりゃあ、セリアは厳しいぜ。パッとしなかったもん。
とかなんとか、やはりしつこい。

一つの鍋に味噌煮込みうどんを作って二人でつつく。

1954年、詩人の黒田三郎が「ひとりの女に」という詩集を出版した。それは夫人となった女性との恋愛を綴ったもので、優れて美しい詩集であったが。
その女性は、自分一人に捧げてくれたらいいのだけれど、公表してしまったと言って、プンプン怒ってしまったらしい。(※1)

「自分のためだけにでもひとつの本を作ったら」という彼女の言葉を聞いて。
その話を思い出す。

僕はおそらくまだ、セックスをセックスとでしか捉えていない。
これはレジャーやスポーツの類いではない。ひとつの本を作るとき、僕は黒田三郎に憧れるだろう。これはアートの為にはインスタレーションみたいなことをすればいいと考えている節を蹴散らす。
詩人とは何であるかを忘れる為に、綴じられた頁をめくる為に、花柄の布団で包む為に、僕は言葉を待っているのだ。
その方法がようやく、こねくり回すだけの段階を終え、オーブンに入れたり、沸騰した湯に浸けてみようかという発見に繋がっていた。
君が運を追いつめてくれている。(※2)

※1、名著「詩のこころを読む」(著,茨木のり子/1979)より。
※2、「運命の遺伝子UNA」(著,赤瀬川源平/2005)より。