「Supr8」(監督, J.J エイブラムス/ジョエル・コートニー、エル・ファニング/2011)を映画館で鑑賞。
舞台は 1979年アメリカ。自分が生まれた年は、スリーマイル島事件のあった年だったのか。ET をスケールアップしたようだが、おそらく違う。もっと現代に去来している、大人ですらも無力なものに振り回される空気に満ちている。時代設定は 80年代へ向かうところでも、カラッと明るくはない。
スピルバーグへのオマージュという趣旨は先に宣伝されていた。何がどうオマージュなのかは、衣装ではない。恐怖の描き方にある。画面の構図、パン、脚本、ありとあらゆる要素を用いて恐怖の実態を明かさずに引っ張って行く。観客は恐怖が何であるのかを薄々分かりながらもその誘導に身を任せる。かつてジェットコースタームービーと形容されたそれがポリシーを持って発進した。そして恐怖をやり過ごした後には、危機を助け合い、分かち合うことのできた 良い表情の顔がアップになる。人々が何に惹かれて、楽しみ続けるのかがずっと考えられてきた。味が長続きするガムのよう。無駄に消費することはなく、面倒な思考の手続きもいらない。恐怖とその分かち合い。実は直感的なそれを、技術を駆使して よくできたお話として撮ることが、映画だと彼らは言っていた。
スーパー8のカメラで、君へ送るものを作る。よくできたお話は、恐れ、涙した君が信じて映画になる。だから映画は君のものだ。
http://www.super8-movie.jp/
http://www.super8-movie.com