日曜日, 8月 24, 2014

<梅雨空に『九条守れ』の女性デモ> はとても俳句らしい俳句なのだ

俳人 金子兜太と 作家 いとうせいこうの、終戦記念日対談を読んだ。

「戦前」の空気を利用する権力下の連中も現れて、権力者と共に権力を強化していく と書いてあるのが 昭和十五年にもあった。
新しい俳句運動が弾圧されたとき、権力者が動くのではない。新しい俳句運動をよしと思わない俳句内部からだったと。その翌年に日米開戦。

七月に、さいたま市大宮区の三橋公民館が発行する公民館だより で、
<梅雨空に『九条守れ』の女性デモ> という市民の句を公民館の月報に載せないとされた事件があった。市からの理由は「世論を二分するテーマはそぐわない」。それは「リスク回避」の自粛判断。昭和十五年と似ている。こうやって権力が強化されるのに一役かっていく。

思うのだけれど、・・そもそも、この句はデモ賛成の内容ではないだろう。見たものを詠んだだけ。俳句らしい表現であるはず。
テーマがそぐわないからという理由ではなく、作品として良くないという審査として載せないようにされてしまえば、問題視すらされず進んでいく。この月報はおそらく無審査形式。投稿された句は載せていくかたちなのだろう。審査形式のところなら、リスク回避はいくらでも内部で可能で、誰も気付かない。選者一人が、表現の自由を貫けるか、既に権力に迎合しているかだ。

ちょうど、詩の教室「詩から」で「詩」と「俳句」「短歌」の違いに取り組みたいと考えていたところだった。大きくまとめれば全て「詩(うた)」であるが、そう <梅雨空に『九条守れ』の女性デモ> はとても俳句らしい俳句なのだ。