月曜日, 8月 13, 2007

導入不足のゲド戦記

昨日に引き続き、今日も一日中 掃除。またこれも昨日に引き続き、モスバーガーに焦がれつつ、スーパーで おつとめ品のパンを買った。一人でモスバーガーを買いに行くという行為がどうも勿体なく思えて仕方ない。外で食べに行く機会に取っておく貧乏性。

掃除が一段落したところで 晩に、レンタルで「ゲド戦記」(監督,宮崎吾朗/声,岡田准一、手嶌葵/2006)を見た。
映画公開時に周囲の感想などを聞いていたので、それに振り回されないように見ようと思ったが、周囲の感想に納得してしまった。全くグッと来ず、消化不良で 終わった。肩に力が入っていて、理屈のみで伝えようとしている。原作はファンタジーの名作で、扱おうとしている題材は魅力のあるものだと思う。
しかし冒頭のシーンが呆気なさ過ぎて、ファンタジーの世界に引き込まれていくことができなかった。それから続く魅力ある要素の連続に、ぞくぞくすることができない。既にどこかで見知った物語の類似品に思え、それらは劣化コピーで、白々しい。
問題は、導入不足だ。ついていくことができないのは、マニアック路線で行くならそれでもいいとは思うが、おそらくこの映画は広くやろうとしているだろう。 「宮崎駿の妄想ノート」(大日本絵画/1984-1990)を思い出す。マニア雑誌に連載されたそれは軍事マニアっぷり全開で、導入など知ったことではな かった。その徹底が逆に引き込む要素であったりした。宮崎駿の映画は己のマニア熱をうまく調整して、一般に広く受け入れられるように、それでも媚を売るわ けではなく上質に昇華している。その舵取りの良さこそが、宮崎駿のプロとしての凄さなのだと思う。やはり比べてしまっているのだが、比べらても仕方ない作 品だと思う。
数日前に、ビデオ屋で「ゲドを読む」(スタジオジブリ/2007)という文庫本のフリーペーパーを手に取っていた。これは宣伝パンフなのだが、監修が糸井 重里で、ブックデザインが佐藤可士和、執筆陣も中沢新一や河合隼雄など凄い。内容は薄い感触もあるが、この宣伝としての導入はとても巧みだと思う。
「ゲド戦記というのは今回の映画で判断がくだされるような代物ではなく、あれはあくまで一パターン、原作は偉大なんだよ」と言っているように読んだ。糸井重里と言えば、「導入」を仕事としたプロ中のプロではないか。

http://club.buenavista.jp/ghibli/special/ged/about.jsp