水曜日, 8月 15, 2007

終戦の日

言いたかった言葉は、いつまでも残る。
数日どころか、五、六十年経っても残っている。
言葉でなくても、伝えられることもたくさんあるが、やっぱり言いたかった。詩人でなくとも、人はそうだと思う。言葉は基であり、全てだ。
今日は終戦記念日だ。六十二年目の言葉が、古ぼけたものに聞こえぬよう、今どきの言い回しに迎合ばかりせぬように。
郡上おどり は「英霊を慰める」と言って、終戦日にも軍の中止命令を跳ね返して踊ったそうだ。だから今日も徹夜踊りをしているだろう。
お家から頂いた野菜を用いて、ゴーヤカレーを食べた。元気を出して、暑さを乗り切らねば。
録画しておいた戦争関連の番組を見た。
「鬼太郎が見た玉砕」(NHK/2007)は、とても良かった。滑稽なくらい悲惨な視点が、何の媚を売ることもなく語られていた。原作となった漫画も読もうと思う。
同じく NHK から録画しておいた歌番組にて、元ちとせが広島の原爆ドーム前から歌う企画があり、その曲は坂本龍一と手がけた「死んだ女の子」だった。高石友也も歌って いた、トルコの詩人 ナジム・ヒクメットが広島で死んだ女の子のことを書いた詩「KIZ COCUGU」(1956)を歌にしたものだ。原題は「小さな女の子」らしいが、「死んだ女の子」という訳は強くて惹き付けられる。読み上げる度に、口元 がヒクつくような鋭さを持っているのが、この詩の凄みだ。
そして、歌も良かったが、坂本龍一が NYのグラウンド・ゼロの前で挨拶をしていて、WTC より大きなビルの建設が決まったというここに鳴り響いている工事の音がうるさく、この音は希望の音なのかと問いかけ、「僕には復讐の音に聞こえてしまう」 と言っていたのが良かった。
広島、長崎の グラウンド・ゼロ はそう呼ばないようにされていく。
誰も望んでいないことが続いている。
いくらニュースが速く届いても、誰が酷いか分かったとしても。
動かせなければ同じになってしまう。

http://www.nhk.or.jp/nagoya/kitaro/
http://www.youtube.com/watch?v=EmsRNQ57f1M
http://www.geocities.jp/livanelistkyj/hikmet.html