日曜日, 7月 09, 2006

総合的に再起動が要る。iBook、再死。

この頃、起きるとゲップが止まらない。
胃が悪いのだと言われて、不摂生な生活が原因ですよと。
眠りながら出勤をして、乗り換えの駅でだけ目を覚ます。日曜でも朝の出勤組になった。お昼休みを早くとって、社食でカツカレー。少し元気を取り戻したなと感じていたら、すぐに終わりの時間になってくれた。
福岡氏から今晩より来朝にかけて集まって、ワールドカップの決勝を見ようという誘いを受ける。
でもこの頃はやはり体調が優れないので、電話では前向きに考えたいと言いつつも休むことにした。
行ったら盛り上がることが分っているのだけど。

夕食は、元気を出るものをと彼女が持ちかけてくれ、餃子を作った。
彼女が出かけているうちに台所で薄力粉に胡麻油などを混ぜる。市販の皮とは異なり、粉からこねあげた皮はもっちりしていて強い。大量に作れるのも嬉しい。
生地を常温で寝かせるときに iBook に各種インストール作業。
カリッと揚げてふっくらジャンボ餃子となってくれた。皮がしっかりしているので、肉汁が逃げず最高。餃子の最も美味しい瞬間を堪能することができた。
ウマウマと言っているうちに眠くなり、横になってしまった。深夜過ぎに起きて皿を片付けて洗った。
食後に iBook でしようと思っていた仕事はまだ手つかずだった。
このチョイ寝から起きたときも、ゲップが止まらない。
またこの話題で少し言い合う。

もう一気にやってやれと、メールチェックをひとまずして、ミクシィを覗いていたら、マイミク登録をしている友人らの顔写真が薄くなっているように見えた。
「んんっ?」
「目が疲れてきたのかな?えっ、えっええ?」
丁度 アンプから流していた「FOLOW ME」(伊藤君子/2004)に合わせるかのようにゆっくりと彼らの顔写真が光に包まれていく。手を延ばす思いで、フェードアウトを止めねばと急いで再起 動をかけた。嫌な夢を見ていたときに自分の頬をつねって現実に起きる術を、僕は小学生のときに会得していた。そのように緊急脱出をかけた。やがて年齢を経 たとき、その脱出方法では夢から出られないことも多くあったのを追記したい。
再起動がかかった後の、起動画面は荘厳だった。画面四隅の端から光が溢れはじめ、じんわりと全体が明るくなっていく。そして真っ白の光に包まれて、青色が滲んでくる。縦横に何本かストライプが走る。それはまるで良く出来たスクリーンセーバーのようであった。
ハードディスクは正常に回転しているようだし、音量キーなどもちゃんと反応した。
この瞬間、またもや我が iBook 死す。
一気に落胆する。ガクーッと来た。もう駄目かもしんないと思った。買い替えろってことか。
何かの報いか、呪縛か天命か。考えを改めなければいけない気がした。理屈では分っていたことだけど、そのぬるま湯に浸かり過ぎていたのだと思った。
デジタルデータなど信用できぬのだ。
それは「ある(1)」か「ない(0)」に過ぎないのだから。
そういう根本に全てを寄りかからせておくことの生活態度自体を危惧するべきかもしれないと思った。
既に試合がはじまりそうな時間だった。
福 岡氏が誘ってくれた観戦会場に駆けつけようかとも思ったが、睡魔が忍び寄ってきたので寝ることにする。彼女の Mac で仕事はきりをつけて、それからしぶとく iBookのこのクラッシュについてを調べていたら、既にこれと同じような症状が他でも起こっていることを知った。
根本的にこの iBook(2001LATE/DUAL USB)という機種における構造不良のようである。初期出荷で見舞われた方も多いようだ。僕のは初めてなので、今回の修理作業でおかしくなったのかもしれない(と考えたい)。
どうなることやら。
既にこの不良点に対しての Apple 純正補償「iBookロジックボードリペアエクステンションプログラム」は終了しているし、これが今回の修理補償内になってくれなければ、購入店の長期補 償ワランティも終わっている現状では、モニター修理にプラス四万円強を払わなければいけない。そこまで払って、リハビリめいた iBookを使うのも辛い。かといってここで新しいのに乗り換える財力もないし、黒の intel Mac には憧れるけど、いまの最新 Mac市場は少し様子見の段階なんじゃないかと僕は判断していた。
さてしぶとくもザオリクが効くか?
いまの気分はザオラルだな。

悔し紛れにふて寝をする。
兎に角、ストレスを溜めないようにデジタルライフの方向からもアプローチが必要だと訴えられてきていた。あらゆる方向からの操作や移動が相まって、ライフという総体があるように考えた。

http://violent.oops.jp/blog/archives/000168.html