土曜日, 7月 22, 2006

July, 2006 Kita Nagoya JAPAN、の夜

人間の特性をいくら考えたところで事態は解決しないけど、気持ちがらくになるのなら良いでしょうと彼は言った。
白い部屋に白いiPod に白いスピーカー、そして白い女に白い男。白いカップに入れられた白いコーヒーの白い味。
額縁の中だけが淀むことのできる敷地だ。
南の山間部で淀んだぶんだけ、北の平野にてまっさらな気持ちになることができた。絵とはそういうもので、僕は白い絵だけには気楽に頷けない。わざわざ白い 絵をドイツや東京にまで大枚をはたいて送ろうとする彼や彼女たちの話を聞く。オノヨーコがジョンと微笑み合った時代には真っ先に彼らが否定していたこと だ。

一瞬で散った、筆の先にある絵の具。これを指で弾いた子供たち。
赤や緑は天井に吊り下げられているタングステンライトにまで届く。
お酒を飲むと顔が爆発するようだと、Anna Jandt は笑った。
Sept, 2005 Nishiharu JAPAN。
記憶は言葉だ。

今夜は残り二週間に託された言葉が、記憶の面をして皿にいた。
草刈り機でお腹を切って、お腹が膨れていた。
パイナップルの輪切りに詰められた、脳味噌のような肉玉とあんかけ。
(bnap06の)みんなが苦く感じたかどうかは、聞いてみないと分からない。
この町でも雨が降り出しそうだと思い、雨が多い日本だとメールし、そういう記憶になり、パンパン詰めになったリュックから取り出した白い本を、路上に置くことができるかだ。
突きつけられた言葉は、信じることだけでしか、我々を人間に維持させることができない。白い本がみるみるうちに色を吐き出してくる。雨でインクや絵の具が溶け出してきているのだ。排水口に流れこんで、今夜の視界を深く炒る。
三人で素麺を食べた。
それは白い麺だったが、黒いつゆに入れる食べ物で、工場で炒られた胡麻をパックしたのをまぶして食べる。もし僕らに車があれば、実家の近くの畑まで今晩中にかっ飛ばし、長ネギをひっこ抜いてくることができた。
ついでに子供の絵を美術館に展示するという作戦も思いつく。守衛の目をかいくぐって、贋作と盗作の行間に、言葉にはならない声を掛けてくるのだ。
ワイヤーは面倒なので、釘を打ちつけてやる。
そのほうがかっこいい。
駅前のロータリーで土を払う。長ネギの根っこと、靴の裏に付着した土を同時に。
タクシー運転手と野良猫だけが目撃する可能性を持っていたが、どちらもよく寝ていた。
彼らの傍らに置かれた白い本は、ドバドバと泣いている。
白色がとても奇麗だ。

畑にて、パイナップルに話しかける農法があった。
横の畑では、長ネギに挨拶をされるそうだ。
草刈り機でお腹を切りませんように。
夜には素麺がちょうどいいと思う。