金曜日, 7月 14, 2006

女を習え

オノ・ヨーコは「オーシャン・チャイルド」と名付けられたとある。そうか、小野洋子だったのか。
「ただの私」(著,オノ・ヨーコ/編,飯村 隆彦/講談社/1986)で、インタビューの際に前置きとしてまとめられたオノ・ヨーコの半生についての文にそう書かれていた。この本の編集は飯村隆彦だ が、この紹介文自体はマーチン・ターゴフというインタビュアーが書いた。「オーシャン・チャイルド」なんて、漢字の分解が如何にも外国人だなという印象を 受ける。このような新鮮な視線が、かのジョン・レノンにもあったろうと、やや飛躍して思う。
この文庫本の所有者である、かの君が本日の夕方に ニキ・ド・サンファルの展覧会を見に行った。「女性作家」だねと携帯電話にメールを送る。

「女を習え」とオノ・ヨーコは言っていた。
自分はわざと遠い目をして、その言葉を反芻していた。そこまで言って、はじめて言葉になるのを思った。問題と同じくらいその言葉が問題とならなければなら ない。「殺すな」という岡本太郎の言葉は、ベトナム戦争時に言われたものだが、殺そうとしている力と同じ力で殺すなと言わなければ、届かないのだというこ とを思い出す。「イルコモンズ・トラベリングアカデミー」で教えられたことである。
わざと遠い目をして、言葉を反芻した次の瞬間には、自分が画面に出ている自作自演のドラマのワンシーンが残像として見える。

芸術系の大学が女性ばかりになっても、なかなかタフにはならない。虚栄で捏造された男たちの歴史と社会に迎合する女性という図を、超える言葉を放つことはできるのだろうか。
ずっと無意識に「男を習え」と言い続けてきた。ジョンに言わせれば、歴史が。
歴史だけが?
いや、いま僕もそれに片足を突っ込んでいる。歴史とは、気づいたときには、知ってか知らずかそうなっている暗黙に敷かれた草履だ。
だから男女で行われる議論は、それを見つめ直すように言葉をほどかなければ不毛と化す。
数年前、教室内でのとあるディスカッション。議題は「男と女」。
家庭内で、男が仕事をして女が家事をするという常識について移項していた。
部屋は小さく、本棚もぎゅうぎゅうで、人もぎゅうぎゅうだった。
議論は平行線となっていて、思い思いのことを皆が述べているのにとどまりつつあった。少し年上で、この集まりの主要人物である女性がずっと携帯電話の為に出入りする奴らにピリピリしているのが判った。
男がどうしたら男女が仲良くなれるのかと、カップル体験談のような話へ男が持っていこうとして、その方向が修正され、再び家庭内でのケースについて「男も料理を作るべきよ」という意見。
またガヤガヤしてきたところで、その主要人物の女性が仕切るように言った。
「でも、私の場合は、彼と同棲しているんだけど、料理は私が作るの。それは男女差別とかじゃなくて、彼は料理が下手だから、私が作ったほうが美味しいから。私もそれがいいの。」
一同が妙に納得した空気になった。
そのうちに時間を迎えて、予定通りに解散をした。
いま僕は、あれは議論の結びではなく、あれこそが出発点であったと強く抗議したい。

飯村隆彦は、メディアアーティストで、オノ・ヨーコと親交が深く、研究と評論の本を書いている。前記とは別のインタビューもしている飯村昭子は、妻ではな いかと推察する。彼女はオノ・ヨーコを尊敬と意気投合とで見つめ、話していた。だが飯村隆彦は、オノ・ヨーコを尊敬もしているだろうが、それだけではない と思った。彼には彼自身への視点も常に設定されている。
ここで視点という言葉をビデオカメラに置き換えれば、飯村隆彦のビデオ作品のように、優しくシリアスに見えてくる。
「ISEA 2002」というメディアアートの大規模な展覧会で、大量のビデオ作品を見て、僕が最も心を惹かれたのが飯村隆彦作品であった。
「トーキング・イン・ニューヨーク」(1980)などを見て、分けも判らず興奮した。

そろそろこの文庫本を読み終える。かの君に返そう。
ニキ・ド・サンファル展の詳細を聞き忘れたが、名古屋市美術館のチラシは最高にダサイ。キャッチコピーが酷い。

http://www.a-i-u.net/
http://www.takaiimura.com/
http://www.art-museum.city.nagoya.jp