月曜日, 7月 24, 2006

遅くには四人で笑えた

あらゆる場面が映画のように見える。

単館系のこれは、数カ所によるロードムービーで、病を背後に抱えていながらも穏やかな日常が続くというベタな脚本だ。
そのなかでも中盤か、後半に入れられるであろう山場を迎える。
ファミレスでたむろする金髪のギャルとチーマーをかいくぐって、お手洗いに行く。
そこで何人かが吐いていたという。
僕は用を足しただけだ。それから豪語してみたが、これはこれで終わってしまったのか。
彼女はうつむくだけではなくなっていたが、言葉は宙を舞う。言葉は矛盾を抱えた願望である。内的要因と外的要因という図を僕は書いた。
電話をしているうちに、机の上に紙と鉛筆を置いた。鉛筆には「地中美術館」と書いてある。
一言を吐くと、同時に一斉射撃が放たれる。内的にも外的にも、潜在的に高圧的に、互いを殺めたり救ったりする。
その姿を見て、もう立ち上がり、車を走らせた。
この映画の結末はどうなるのか。そもそも終わりなどあるのか。もしかしたら、場面のひとつひとつは分断されており、次という認識すら、無いのではないか。
実際に、編集に立ち会うとそれを実感する。
場面にはみな、一応に同じ色や音楽が使用されているから。
また、映画に多用される小道具も随所に散りばめられていた。

そして信頼に目を開く。
眠たいことを話しているのを知って、机を叩いた。
今日のロケ地は四カ所。自室での撮影は朝と深夜。
遅くには四人で笑えた。