木曜日, 5月 06, 2021

ゴジラの住む世界と同じ心理で

  もう無理だとはみんな思っているけど、なんとか大丈夫だろうとも思っている。思っていなければ暮らしていけない心理は、ゴジラが攻めてくるなかでも社交ダンスをしていた人々とそう変わらない。はかなさの美学に酔う暇も無く、何もできないまま地震を待つようだ。

 止まない雨は無いけれど、日照り続ける晴れも無いかもしれない。お天道様がどうであれ、空の下で人間は枯れたり、水浸しで転覆してしまう。最後は神頼みで世界が終わることを受け入れるようなこの国の癖はとても根深い。生きにくいのは誰のせいだろうか。面倒だと投票に行かず、文句を送りあう小市民のせいだろうか。文句が文句を呼び、何も許せなくなった使命感の足かせか。いろいろ理由をつけて仕事を成さなかった自分のせいか。全部自分のせいにできれば格好良かった。全部人のせいにするのも気楽だった。全ては数え切れない所作で補完しあっていて、目に見えない大きさで引っ張り合った先の均衡が今日なのだろう。

 Wi-Fiネットワークに繋げられないだけで、この文章も先へ進むことになった。担当している専攻の学生たちは、いまは放っておいても書き進められるように見える。何か飲めなくても、一定の距離は走ることができると笑っていた。それが尽きる前に、補給地点なり、走り方のフォームなりを点検していきたい。いまの状態は、ただ泳がせているだけ。楽しい気分はそのうち醒める。

 文章が社会を変える事例を挙げよう。詩が社会を動かした事件を。そんなものがあると信じているけれど、具体的には何年何月何日なのか。コピーはいつから唱えられた? プレゼンって何で必要なのか。小中高の、見よう見まねの授業で癖がついている。先生の言うことを聞きましょうと。

 授業準備に追われて何もできないことになりそうだ。解決策を持たないと手詰まりである。小遣い稼ぎの仕事で時間を取られていてはいけない。仕事のカードを作成し、それを貼り出して共有する。ストレスを壁に、それだけで緊張感が適度に漏れる。一年生のうちにその癖を付けさせないといけない。