水曜日, 8月 05, 2009

幻のコーヒーミルクゼリー

床に置いていった詩は、今日も椅子の上に座していく。お昼一時の空は鰯雲だった。魚を浮かべて飛びつく猫になり、恋を思い、背中に塗り薬を塗るときの、逆流する鯉を流れに戻すようだと、指先の思いになった。
純喫茶ローレンスで幻のコーヒーミルクゼリーを頂く。バニラアイスが上に乗っていて絶妙で、とても美味しかった。
近くにプリント紙を扱っている店を見つけたので、買い込み、早く帰って詩集の印刷にあたる。所謂ポートフォリオのような雰囲気の、これは詩集である。いままで暫定的にレーザープリンターで刷っていたものには入れていなかった「おじいさんに会いに行く冬。」の詩を部分ではなく、全編収録することにした。試し刷りを読んだときに自分で、詩の部分では物足りなく思ったからだ。昨夜はビートたけしの悪ノリ番組を見てしまい、夜更かししていたが、今日は若者のドキュメンタリーを流しながら印刷をする。昨夜は「ソラニン」(著, 浅野いにお/2005-6)も読了していた。爽やかなんだけど、やりきれない思いになった。なんだか ずるいとか思ってしまった。思い出すとそこまでずるくはないかとも思う。青春はどれも理不尽なものだから、ずるくていいのかもしれない。詩こそ、純粋にずるいものもないだろうと勝手な自問をし、黙々と印刷する。プリンターが言うこと聞いてくれるうちに走り切ってしまおう。深夜に犀川のほとりで詩集を刷る男がいるなんて、室生犀星は思ったかしら。室生犀星もそんな感じだったかな? いまこそ室生犀星の本を読むべしだ。現在形の言葉を持つためには名作を読んでこそ、携帯メールに手を抜かぬこそだ。
昨日の昼間に ひょうたんの緑が溢れている光庭で詩を書いていたところを撮られていた。インクジェットで印刷してもらったものを頂く。それを紙の上に置いて更に撮影する。どちらも詩だ。合わせたこの一枚が詩だ。ひとつずつ続いていく。
今日は緑を反射する LOVE の音楽を耳に付けて詩を書いた。ビーバンジー氏の歌もずっと続く。今月末にはまた会えると知る。
ローレンスには久しぶりに会った後輩と行った。彼女は芸術って何なのかと悩んでいると言った。
今日は幻のコーヒーミルクゼリーを食べることができたんだ。