昨夜 某企画への漫画の受け取りで駅のほうには出ていたが、買い物はできなかったので 改めて市内へ出た。
転落して傷だらけになってしまった iPhone に、いいかげんケースを付けなければと思い立ちミラータイプのプラを購入。そのままのデザインが一番良いという志向から、付けるならば別要素が欲しいという志向へ。透明ケースというのはどうも妥協的な感じが拭えない。
展覧会を見ようと離れた別の町へも行くが、着いたときには閉場してしまっていた。道すがら Twitter でつぶやき続けていて、それが時間などの判断をさせないようになっていた。危ないなぁと言いながらもそこまで悔やまない。
日曜まで食い込んで来た雑用を済ませて、電車内で偶然会った福岡氏と食堂でパスタ。缶ビール大を二本。最新 Mac と最新作品への制作を聞く。多難なれどやるしかないっ!という仕切りになってしまう。
昨夜 受け取った漫画は個性的であるという点で勝っていた。
Twitter の中毒性は安心して個性的であろうとできる小さな枠の存在だろう。
140文字の中に詩はあるのではなく、一本のタイムラインを ばらばらの言葉が流れていく姿にある。この流れを意識させる文字の現れ方はあるはずだ。コンサートで無言のMC をするわけではなく、日々の動きに。