ラッキープレイだと撃ち殺しているんだから非道にも思われよう。惨くともゲームはゲームで、仮想のものだとする割り切りが大人のビデオゲームにはつきものだ。割り切りそのものが想像力の使い方である。でも子どもたちには、想像力があると言いながらも はなっから割り切りを要求するのは惨たらしい。
レンタルで見た「紅の豚」(監督, 宮崎駿/森山周一郎、加藤登紀子/1992)は、大人向けというテイストながら、子どもに対して割り切りを押しつけるものではなかった。飛行艇で空中戦をしておきながら非道なところは無い。それでいて軍ものうんちく欲は満たしてくれる。大人の恋の割り切りも描かれているようで実は無い。むしろ子どものほうが、恋を割り切る強さを持っていると描かれている。宮崎駿の興味はあまり歌姫には無いだろう。姫は除いた「歌」にはある。
「時には昔の話を」(詞, 曲, 加藤登紀子/1987)に散りばめられた、サンテグジュペリへのオマージュの豊かさを宮崎駿が語り込んでいることに比べれば、ただ かっこいいがための「大人の女」はささやかだ。
割り切りながらも胸を痛めている自分を想像させんがため、顔は絶対に見せない。
http://www.youtube.com/watch?v=HqOhAQbo5yE&feature=related