何かを恐れると同時に、何かを消滅させようと剥き出しにしているようだ。
華やかな叙情に満ちた言葉で払拭されるものは今日への不安かもしれないが、言葉は常に語られていないものを浮かび上がらせる。愛故に憎。美故に醜。虚と実 の入れ替わりの果てに、舞台からこちら側へ外れる動きや、スクリーンから映画監督を名指しで嫌いだと独白することがある。それが言葉の働きを伴って語られ ていることに着目したい。
宴席を進ませながら「天井桟敷の人々(原題, Les Enfants du Paradis)」(監督, マルセル・カルネ/アルレッティ、ジャン・ルイ・バロー/1945)を鑑賞した。
最後は寝てしまったが。
水野晴郎の訃報を聞き、いまや映画番組の前後に語りをつける評論家は居なくなりましたねという話をして、それは本当にそうだなと思う。映画の後の余韻を殺 さぬように言葉を選ぶ語り手はもういない。誰もが一人言を書き込みし、それを 無言で ROMるだけである。共有される言葉が無くなったのではなく、変容している。映画評論家の最後の言葉を、画面から言いたいと思った。
「ただいま上映された言葉は、みんな嘘でみんな本当ですね。」
余談だが「天井桟敷の人々」の原題「Les Enfants du Paradis」は英語直訳すると「The Children of the Paradise」になる。「Enfants」には children より広い人間への呼称がありそうだし、「Paradis」は劇中であの天井桟敷をそう呼んでいるのかもしれない。どう訳していくかは学の要るところだが、 この邦題には「楽園の子供たち」のような華やかさが消えているようにも思う。寺山修司はこの「子供たち」からも着想を得ているのだろう。水野晴郎は直訳で はない邦題をつけはじめた第一人者である。「映画って本当にいいものですね」と、配慮のある言葉をそこに織り交ぜていた。
http://jp.youtube.com/watch?v=UJIIrguLzDw&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=Bly9o0MS5po