月曜日, 6月 09, 2008

それを思い出すことができなければ、悲しい男は、悲しい男のままだ。

起きるとノリ氏は既に旅立っていた。部屋には缶ビールのケースが二つ残った。
パソコンを立ち上げ、吉田氏のブログ 6/9付を読む。「象徴」という言葉がしっくりきてしまう。更にニュースを見て、掲示板に残された犯人の実況書き込みなどを知り、その文言ひとつひとつに 悲しくなる。許すまじき犯人より悲しいのは被害者であって、本当に痛ましい。こんな事件が二度と起こってほしくないという言葉は重く、こんな事件が多く なってきているこの世界に、何が必要なのかを思う。生活費だ年金だ何だと貧乏に必死で奉仕も啓蒙も無く、エコブームにも懐疑的で連帯にも冷めた私には何が できるのか。
ひとまずはあまりにも「象徴」的なものを「象徴」と呼びきってしまわないように考えるか。
今日は車で送ってもらって、大学やギャラリーを行き来した。猫の話も少しした。

さよならは一人言ではない。
本当はさよならを誰に投げていたんだ?!
それを思い出すことができなければ、悲しい男は、悲しい男のままだ。

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