金曜日, 6月 09, 2006

やさしい社会でないからみんな荒れ狂う。いや、社会がやさしくなれたことなんてあるんかい

コンビニのレジにて、物を買いながら有線の曲に合わせて歌っている女子高生を、ありえないと批判するのは容易い。
幼き子供に向かって八つ当たりをした母親を、狂気の沙汰だと批判するのも容易い。
ありとあらゆる法律違反者は批判、罵倒されていた。
引っかからないようにだけやりすごそうと、人々は身を縮めてコミニティという隠れ家に隠れ潜む。いつかそこにレーザー誘導弾が打ち込まれるのではないかと恐れながら。
気付けば 2006年の日本は、やさしくない社会になっている。
公共空間の私物化を、批判しているだけでは対話ははじまらず、女子高生は省みることなどしない。彼女達は手錠をかいくぐる術を持ち得ているし、とんずらこける若さがある。そして同時にそれについて言い返す若さも持っている。
法律だけが厳しくなり、公共空間で個人の空間が保証されているかすら怪しくなってきた。
僕は相変わらず自室でビデオのダビングをしていた。以前、「昭和慢画テレビ局(昭和79)」を行ったときに友達から大量に借りた昔の VHSビデオを、DVDにダビングするという作業である。90年代のバブル期の度を超した派手なバラエティー番組群。ウッチャンナンチャン、ダウンタウ ン・・目眩がするくらいうるさく騒がしい。画面に映るのは、面白いものや楽しいものが飽和状態で悲鳴を押し黙っている様だった。
人々はいいかげん、飽きていたが、まだおふざけをしていたかった。

90年代のはじめには、まだ路上でギターを弾いたり、詩を読むことが働いただろう。
公共空間を公共のままに戦ったのはフォークゲリラで、個人のものにして独善したのがオウムたち。テレビに映る馬鹿騒ぎの後ろで、たくさんの辛いことがあった。そしてそこからはじまっていたんだと考える、ことができる。いまは容易い定義を。
昔は良かったとは言いたくない。だけどその前みたいな、やさしい社会、やさしい公共空間は取り戻せないのだろうか。
有線に合わせて歌う女子高生に、さげずむでもなく、無視するでもなく、微笑ましく思えていたような頃は存在しえなかったか。嫌いな言葉だがハプニングとで も呼び、互いの個々を受容し得た公共空間は。仮想だとしてもありえなかったかと思う。この考えは公共性なんて皆が仮想にそれを持つことなんじゃないのかと なる。
アートのコミュニティ、ポエトリーリディングのコミュニティ、ゲーマーのコミュニティ、社会運動のコミニュティ・・・。
みんなぶちまけて言葉にして出し合っている広場はもう無い。そもそもそれを仮定でも想像できない。しらじらしい空想のように思えたら、それが必要かすらを問うことからはじめるしかない。
・・・はじめてみればいい。

はぐらかすのが詩人ではないと思い返し、このネット上にはそれが残っているかもしれないと考え、公共空間が厳しくなっていることを今一度持ち上げる。
ずっと持ち上げて話題とするだろう。
90年代の終わりに、とある自由参加の詩の朗読会を主催していた男性は、僕よりひとまわり上の世代だった。彼は君たちの若さが羨ましいと言って続けた。
「渋谷のスクランブル交差点の真ん中でキスしたりもしたよ」

ハードディスクに録画した映像は何度早送りや巻き戻し、コマ送りをしても劣化しない。何度でも回転させた後、まとめて DVDに焼き出すのだ。
ダ ウンタウンの浜ちゃんと、坂本龍一が歌舞伎町で遊んでいる企画コーナーを見る。教授の髪は金髪だった。「非戦」(監修,坂本龍一/幻冬社/2001)とか ははじまっていないけれど、この頃は「gut」レーベルをはじめた頃か。本当に浜ちゃんとぶらついている坂本龍一は気楽そうで、楽しかったように見える。
やがて番組は松ちゃんのコント「やすしくん」の後に、間髪入れず「Merry Christmas Mr Lawrence」がはじまってエンディングだった。
電飾の施された公園をバックに、ピアノを弾く坂本龍一の顔はどこか悲しげに見えた。

気になって web で調べたら、いまは青森県六ヶ所村での核再処理施設に対しての反対活動「STOP ROKKASHO」をしているという。

社会がやさしくいてくれたのは、景気がなだめてくれていたからか。
それだけなのか。

http://stop-rokkasho.org