月曜日, 6月 12, 2006

音だけで、繋がる

行動を計画するのに失敗してしまっており、みんなで盛り上がって観戦したかったのだが、ワールドカップの日本戦の時間を、バイトしなくてはいけないことに てしまった。より以前から、周囲は段取りをしていたわけだ。日中には同級生の鈴木氏が、今夜は集まってプロジェクターで見るんだと鼻息が荒かった。丁度、 2002年の試合を、同じように見た覚えがあって、あのときから楽しかったように思う。1993年「ドーハの悲劇」の頃は、ちら見程度だった。このワール ドカップ観戦のことに関して、非常に僕はミーハーで乗っちゃったもん勝ちなところに立っている。世間の盛り上がりと同じく、にわかファンでいいじゃないか いと楽しんでいる。
これが逆のケースや別のジャンルであったときに、目くじらを立て出すような自分の講釈などを少し想像してしまう。同時に、その批判はつまらないものだということを自戒する。やはりオタクは面倒なのだ。

苦肉の策として、バイト先に流れる有線をラジオに合わせて、ラジオ中継で日本戦を応援することにした。
サッカーは、野球よりもラジオ中継で楽しむのが難しいと思っていたが、ここではこのバイト先が全く無縁の空間になることが嫌だったのだ。強引でも、繋がっていたかった。
小売店内に、ドイツのスタジアムの中であげられている声援が届く。グラウンドの芝生を、強い陽射しが青く光らせているという。
キックオフまでの間、行き交うお客さんらも、この放送 が日本戦の中継だということはすぐ分っているようだった。君が代が流れたりして、僕にはこのとき、放送というものが持つ、ひとつの世界との連帯感を実感と 共に思い出した。ラジオ中継は、音だけが異界とのリレーションで、視界が現在位置に残されるから、そういった連帯感が強く意識できる。テレビでは、連帯以 前に画面の中に個々や現在位置までもが埋没してしまうことが多く難しい。
この連帯感は昨年の作品「明るい夜」「言葉で願う夜」(2005)に通じる主題である。詩も、世界を見渡そうとすることであると、僕は常に意識している。

試合結果は悔しく残念だったけれど、初めてのラジオ中継で応援することができた。
聴きながら、頭の中でシュートなどのハイライトを想像する。時差マイナス七時間にサマータイム制をしているような遠く離れた国でのサッカーを、いつもと変わらぬ仕事をしながら思い浮かべている。
実はけっこう、これはこれでリッチなサポーターなのかもしれない。
ひとりほくそ笑んで、帰宅後に録っておいた試合を見た。
やっぱり、ラジオ中継という方法では、試合の詳細がまったく分らないことを確信した。ゴールが決まったときに、一緒に盛り上がれるだけ。それも瞬間の詳細は分らない。テレビならすぐに分る。

リッチな にわかサポーターは、音だけで、繋がることを優先していた。