日曜日, 6月 18, 2006

中止させられたサッカー観戦

日本時間 22:00 から行われるワールドカップ日本対クロアチア戦を、張り切って応援しようぜと周囲で話していた。前回のオーストラリア戦のときは、大学にてプロジェクター を配備し盛り上がっていたらしいと聞いていたので、よし今回はそれに乗っちゃうぞとミーハーに意気込む。
ドイツの陽射しは強いだろう。bnap05 のときに名古屋に来た面々も向こうで見ているかもしれない。日本は強くなったねと褒められた言葉も聞いている。こちとらサッカーのプロリーグなど歴史は浅 いかもしれないが、なめられたもんだと言い返す。言い返せるのは実際の試合で示すのみ。勝ち負けばかり言いたくないが、本場にもしびれさせるサッカーを見 せてくれ。

とかなんとか言っちゃって、大学に着いたと同時に福岡氏から電話を受ける。
観戦できなくなったと聞く。「ええっ!?」と驚き、見ると学生や皆々が落胆して出てくる。現場の話によると、プロジェクターを完備して、皆で観戦しようと していたところ、キックオフの瞬間に警備の人間が現れ、プロジェクターの前に仁王立ち。皆の顔を懐中電灯で照らしては、やめろと圧倒し、電源も落としてし まったらしい。
なんたる圧力!そりゃないぜ。学生らの反論も完全に弾き返した始末。
彼、 彼女らはその弾圧に戦う以前に、試合を見たいから友人宅やテレビのあるところへと急いで散りはじめた。キックオフしてから中止になるなんて、またタイミン グが悪いなぁ。いや、それよりもこんなふうに封じ込められること自体が前代未聞であった。現代の、限り無き管理社会化と重なる現象だ。またしてもどんどん 自由は失われていく。大学の学生自治といった美談などはもうどこにもない。アンダーグラウンドは一掃され、学生らの自由な交流の場、あらゆるものを生みだ す土壌は焼き払われる。関西方面の某美術大学は、夕方五時に完全施錠されるという話を思い出す。いずれ、我が母校もそうなって、大学院生だろうが、何だろ うが、何の交流も関係も持たなくなって、みんな ただ通うだけのところになってしまうのだ。
騒音の問題など、検討し合われ、議論される余地はどこにも用意されない。暴力的な鎮圧をくらった学生らが、この場で何か面白いことをはじめようと考えるわけもない。疲れるだけで、勘弁だ。誰もが個室に帰っていく。

結局、自室で見た試合は歯痒い結果に。
続いてブラジル対オーストラリア戦まで見ちゃう。貫禄というか、落ち着いた試合に見える。日本みたく難産じゃなく、常にヒヤヒヤしていない。これが中田選手の言う「緩急のあるサッカー」なのか?
「絶対に勝て!」とかもう悲鳴あげちゃうメンタリティって、日本なのかな。他の国での自チームへの報道はどんな感じなんだろう。
日本では野球にはあるように思えるが、サッカーにおいては批評的な報道は少なく、多くは熱血論だ。オリンピックもそう。種目関係無く、国際舞台のものには規模が大きくなる分、そうなるのか。
フジテレビで、明石家さんまだけが「このままブラジル、オーストラリアで決勝進出行く感じが強いでしょう」と、ひとつ踏み込んだ発言をしていた。言った後に、画面端でイシシとほくそ笑んでいた。

NHK にすると「よさこいソーラン」の大会を録画でやっていた。僕はこれが大嫌いである。何故にこれが好きになれないのかを福岡氏と談義する。
たとえば大学で「よさこいソーラン」するからと言って、晩に踊っていても怒られなさそうだなと思った。そんなダサイ感覚で謳歌している学生ばっかりになったら、もう美大でも何でもないと僕は更に落胆するだろう。