日曜日, 6月 11, 2006

この社会では、アートと呼ばれるものを点す仕事と呼ばれている。読まそうとしている。

昼の一時より味噌蔵にてアーティストトーク会が行われた。公開イベントの甲斐あって、来場者の方も多く来て頂く。出品者各自が自身の作品についてを皆の前 で話し、質疑応答をする。こういうとき僕はあくまでも自分自身の感想をベースに、批評とでも何とでも解釈されていいスタンスをとりたいと考えている。

雨を待つ湯のみたち。
幸せの青い鳥のカーテンと名付けられたレイ。
ブラインド、パフォーマンス。君が見ようとするのを見る。
大きく引き延ばして、穴を掘るなかで、稚拙でありがちな議論に落ち込まないように。
僕は話した。常に自身の仕事を省みる機会を伺いながら。

終わって、真坂氏らの車に乗せてもらって五人で大須のアートフェチに向かう。伊藤正人氏の個展「tea on the sea.」を見る。一階のスペースのみでの展示ということもあって、鑑賞欲求は満たされず。もっと見たいと思ってしまった。地図だという意味付けが、言葉 のみで成立させようとしていると見えてしまい、既成事実として作品に参加をすることになってしまう方法だった。アクションを要する作品は、襲いかかってく る力がもっと必要だろう。氏がコラボレーションで展開されているフリーペーパーのような作品「名称未設定の手紙」や、一連の作品がまとめられているテイス トは好きなので、どこか歯痒かった。
と、ブログだけで言いたいことを書いているわけではなく、実際に話してもいた。

七時前に解散して、僕は大須にてとある打ち合わせ会。
夜は少しビールなどを御馳走になった。
日曜日の終電間際の大須商店街は暗く、ゴミ袋が店の前に出されている。数々のアートと自称するもの、されるもの、それらを点そうとしている我々の仕事。僕の仕事。じゃあ、その舞台であるこの社会や、そもそもアートって何?って、疑いはじめて話がはじまっていた。
なんなんだろうね。
何の根拠もないけれど、少なくとも僕や君にとっての答えが、世界のそれであると信じながら、パソコンに表示される言葉の前で それらは連日問われている。