水曜日, 6月 28, 2006

美化しない輝き

マレーシアからの留学生カイル氏と大学で会った。今月まるまる一ヶ月、何名かとで来日してきていてグループ展も行っていたらしい。あいにく、今日は片付け の日となっていて、梱包している途中に彼らの作品を見せてもらう。握手をするとき、彼は、常に楽しんでいる目に見えた。僕もそれを伝えるだけで良かった。
その足で絵画教室のモチーフを買いに行く。マレーシア産などではないが、パイナップルが出ていたのでそれにする。下書きをせずに水彩絵の具でじっくり描 く。例のごとく黒の絵の具は使用禁止だ。すぐにそれに頼るからとい教えをずっと実行する。混色も必須項目。楽ちんに用意されたツールじゃなく、いろいろ取 り組めるようにと。
教室をしながら、絵は豊かな表現方法だと改めて思う。こどもらは三十分くらいだけど、パイナップルを描写した。その色は単色ではない。それを意識しても、 絵というものが、そこにある全ての種類の色を再現することが目的ではない。完全なるピクセル分解に憧れつつ、それへと至る中での行為が重要であった。そこ で行われることは個人によって見事に異なり、絵はそうやってあらわれてくる。意図することはその行為についてにしたい。

レンタルにて「アメリカン・スプレンダー」(監督, シャリ・スプリンガー・パーマン&ロバート・ブルチーニ/ハービー・ピーカー/米/2003)という映画を見た。主人公ハービー・パーカーは同じように言っている。
「絵と言葉があれば、なんだってできる!」
彼は現実の生活を漫画にするという表現をしている。お金を得る為の仕事は病院の書類整理係で、つまらなかった。同僚の連中を見ていても、自分の姿や言動を 見ていてもパッとしなかった。離婚したり、引き蘢ったりの、それなりのそれなりのダメダメのアメリカの郊外で。彼は既に中年となっていた。日本にでもあり ふれたような彼は、そんな日々を漫画にしようとする。実際にあったノンフィクションを基にした、ドキュメンタリー調も取り入れたフィクション映画だ。
劇中では俳優が演じるハービーと本物のハービーが出てくる。
アメリカの漫画文化は、コミック文化と呼んだほうがしっくりくる。
日本の漫画文化と大きく異なる点は、漫画家というひとりの人間が脚本と絵の全てを手がけないことでが挙げられる。脚本家と作画家が別にいて漫画を作るのが 当たり前なのだ。そしてひとつの脚本やキャラクターを、様々な作画家が描くということも多い。発表の形態として、漫画総合雑誌ではなく、はじめから単体の ペラ本を出版している。ハービー・パーカーのように画力が無い場合、日本では大変ではないかと思う。脚本と作画が別であるもので名作も多いし、小池一夫な どの大脚本家がいるのも事実だが、日本では軽視されている傾向があるからだ。映画を見つつ、前に竹熊健太郎のブログでこのことについて書かれていたのを思 い出した。
ハービー・パーカーは棒人間画をコマ割りの中に書いて漫画脚本を作り、雑誌を刊行した。
その雑誌名は「アメリカン・スプレンダー」。「スプレンダー(splendor)」とは「輝き」の意味がある。

彼が描いた漫画によって、彼の人生が変容して行く。
素晴らしいところは、単純なサクセス・ストーリーではなく、現状のままを否定せず、豊かに見つめようと姿勢が変わっていくことである。
勝ち組趣向にがんじがらめにさせられて、悲鳴をあげているいまどきの状況に風穴を開ける力があるのだ。自己満足の道化ではなく、漫画として成立したものを作る創造性がある。この映画もただの紹介という意思ではない。
等身大の姿を美化しないという姿勢が、映画の至るところで貫かれていて、コメディーのようでありながら中身は相当にマジだ。
「美化しない輝き」なんて、最高にカッコイイ。オタクもカッコイイ、笑い者ではなくて。

だがしかし、本編終了後に DVD特典に収録されている日本版予告編を見て、背筋に悪寒が走った。映画にある硬質な大人向けのアメコミ感は排除され、やけにピンクの装飾が施されてい るではないか。予告編に CG で入れられたハートマークに目眩がした。ハービーとその妻となるジョイスの間に挿入されたのだ。絶句。
「オイオイオイ。まったくもってだいなしだぜ。」
この映画の本質的なテーマを完全に覆い隠して、ありふれた「女の子向け胸キュンラブストーリー」ものに紹介していやがるのだ。商業主義に溺れた日本の映画 配給会社っ!邦題を作ったり、いろいろあるのだろうけど、この予告編によるねじ曲げは酷い。逆に恋愛ものを期待して入ってくる子には中途半端な印象となろ う。映画の中で、ハービーとジョイスの愛は深く描かれているが、それは中高生のような浮ついた「胸キュンラブ」とは異なる。
ジョイスとハービーが出会って結婚して、いろいろあって、互いの言動が優しく変化していくさまが、ここには描かれているのだ。二人が求めているのは、栄光 でも成功でも漫画芸術でもなく、幸せな生活である。こうやって、英語が読めないからといって中身の程度が落とされているのを知ると本当に腹立たしく思う。
これが、制作者の手を離れて海の向こうで発表されるという問題点だ。日本映画が、アメリカ公開時に受けがいいように変えられていることもあるだろう。文化 が生のままで輸入されることは、できるだけ避けられるように施されているのだ。それは本当に恐ろしい衝突や反応を起こすからである。

「アメリカン・スプレンダー」はいまも刊行されているんだろうなぁ と思って調べたら、なんと米国版の公式ページからハービーらのブログを発見してしまった!養娘のダニエルのもある!
日本版の公式ページは上記の予告編と同様である。

この映画が初監督だというシャリ・スプリンガー・パーマン&ロバート・ブルチーニが、男女のペアだというのにも注目したい。

以上を熱弁して寝た。

http://www.americansplendormovie.com
http://www.amesp.jp/