宮城県石巻市の「石巻日日新聞」が、震災の翌日から手書きで新聞を作り、避難所の壁に貼り出していたらしい!
それを米国ワシントンにある新聞博物館(Newseum)が所蔵したいと申し込んだというニュースを見る。
停電し、パソコンも印刷も出来なくなったときに、ロウソクで紙に手書きで、取材を通した記事を書いたという行為そのものが、新聞という存在の根源を思い起こさせる。
真っ暗闇のなかで、新聞を作ることを選んだ新聞社のプロ根性は素晴らしい。
被災地で有効な情報が選ばれ、新聞というフォーマットに入ったことで冷静で客観的なそれでいて親身になったニュースソースになっていた。
いまや 速報性では負け、公的発表だけを載せるような独自性無き報道の問題で、大手メディアの新聞はネット時代には消え行くものと位置づけられてしまうことが多いが、この震災を通して、ネットは役立つと共に デマや誹謗中傷、知識だけの混乱などの害も発生させていた。
全てのメディアにある長所短所を押さえる必要がある。ひとつの方法に終始してしまうことは危険だろう。
手書きの壁掛け新聞は、読者に明晰な判断を与えたはずだ。
http://www.asahi.com/international/update/0416/TKY201104160095.html
http://www.newseum.org/news/2011/04/ishinomaki-hibi-shimbun.html