やっと Markdown を学ぶことができた。
いきあたりばったり。
やっぱり簡単に学べるようになっていた。
使っている人がいれば。
そうなってくれる。ティム・バーナズリーの中央集権を悲しむことに賛成。
さて Markdown は言語を覚えるのと同じだ。
アプリの使い方は覚えてもあんまり意味は無い。
大事なのは概念で、マインドなのだろう。
と、急に箇条書きを使えるように。Mark down は言語なのだ。
ここで何が行われているのか?
多くの人(GUI で失われたものについて考える人)CUI はキーボードによる画面、映像への介入。なんだかんだで指がデバイスであるということに限界が生じているのかも、iPad Pro はその象徴である。ペンもキーボードもある。
フラットに行き来できるならば。
勝手に言語構造を解体する詩作をしたことがある。
机にその紙片を貼って
Markdown 言語を変換したときにおかしなことになるようだった。
それは言語を自らのものにする「メタ」な方法かも。
ポルノに回収されぬよう、飯村隆彦のカメラとの対話を再読したい。