木曜日, 3月 04, 2021

ポメラ礼賛

 また三月になってしまった。
諸々停滞してしまっていることを揺り動かしたく、ポメラDM200 を中古で買った。これを定価で買う者は猛者だと意識する。
 中学校のときに文豪ミニが流行って、父親が購入していて、自分もいじっていた。一ドットずつ十字キーで置いていく描画機能でストⅡのケンの絵を描いたりして遊んだ。保存は 3.5インチフロッピーだった。
それを思い出す。
 重い図体で、印刷はほとんど感熱紙でやっていたそれ。
ワードプロセッサーだ。
 言葉だけに向かうために、読み切れない有象無象をポメラで薄めるしかない。一生分のワープロを購入したという音楽評論家の片山杜秀氏の件を新聞で読んだ。後日、同じ紙の記者もその記事に言及していた。文章を書くことと、編集をすることは別だと捉える人の強い意志が、ポメラを生き延びさせ、自らを生き返らせるようだ。
 今日はどれくらい電池が持つかを、出勤して試す。行きの車内はマスク率九十パーセント。黒地に白の明朝体で縦書きで滑っていくポメラ。キータッチの音は Bluetooth イヤフォンを付けている私には聞こえない。
 慣れないのは右上の Delete キー。
iPad の癖で、画面をタッチしてしまうこと。

 スタバで席に着くとき、コーヒーを思いっきり溢した。ひとくちもつけていなかった。店員さんは気にしないでくださいと布巾を持ってきてくれた。これからお仕事ですか?とも。一時間で出るんですゴニョゴニョと、ポメラでドヤろうとしていましたなど言えない。どこかでマニュアルがあると意識した卑怯な自分。十分後には何もなかったように芝居は再開されると。そんな映画があった。「トゥルーマン・ショー」。現実はビルから落ちる瞬間も、火事で空から灰が降ることも、コーヒーがひっくり返り、スプリングラテが飛び散ることも、遅れている提出物も、調べきれなかった資料も、残り時間も、みんなカットされない。中学生のとき、口づけをしたあとのカップルはどんな風に唇を離すのか見たことがなかった。おそらくその疑問はどんどん回収されていく。疑問を出すこが大切だという話になる。
 私がハンカチすら持っていないことをスタバの店員さんは知った。そして何もできずにオロオロしている子供のようで消費者の甘えに三百八十円を支払っていたことも。コーヒーもう一杯を入れてきてくれた。すみません。サービス以上か、以下かで、語られるとき、私は追加で購入するのが筋なのか。この国にはチップが無いのだから、チップを設けるしかない。人々の感謝が対価として現れるしかない規則ならば、そうなる。
 またこの店を利用させていただきますと向かう。ここで超えていく方法を私は持てるか。
 店員さんが「小さいテーブルですので」と言った。落ち度を設けて、こちらの落ち度を楽にしてあげるのは優しさなのか。消費者の気分を損ねないようにするマニュアルにも思えて少し怖くなる。

 帰宅し、前の持ち主が貼っていた画面フィルムを剥がす。気泡は入っていないけれど、切り口が歪んでいるのは気になる。新品の画面があらわれた。なるだけ、気になる要素を減らしたい。それだけ。気になることが多すぎた。だからコーヒーをこぼす。コールバックにも出ない。何度もスマホを覗いてしまう。もう気にしない。目の前の文章に集中する。夕方四時、電池残量 79パーセント。悪くない。使い込んだら変わるだろうか。でも悪くない。