日曜日, 1月 01, 2012

新しい日常、得体の知れない

2012年 あけましておめでとうございます!
本年もよろしくお願いいたします。

昨年は大きな地震があり、日本は、思っても見ない状況になってしまった。
非常に焦った。
自分の住んでいる東海地方は被災していないものの、不安は立ちこめている。
これは「国難」だろう。急に掲げられた「絆」という言葉に辟易する。

東浩紀らの言う「終わりなき日常の終わり」に頷く。
停電も、不況も、放射能事故も目に見えて、いや見えずに蔓延っている。
分からないやと無視してしまえば「終わった日常」は過ごせるかもしれない。
「もともと贅沢に贅沢を重ねて怠惰の果てにいたじゃないか。」とも思う。「日常」と「平和ボケ」が同じような顔をしていた。
かと言って、何をするのか? 何ができるかを問う暇もなく、今日の飯で精一杯でもある。
その条件は 皆同じことだ。
温度は確実に違っていて、要求されるタフネスが違う。
たとえば「節電」にしても、いつかツケを払い終えて、終わるものではない。
「日常を取り戻す」という言葉ではない。
終わり変わった、この「新しい日常」は、まだまだ得体が知れないのだ。
はじまったとすら呼びにくい感触だ。

元旦、新たな気持ちは行事で訪れる。
私たちの生活は続く。

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