金曜日, 3月 24, 2006

M氏の卒業を動機にして呼んだ人生

目覚めると、素っ裸で、からっ風吹きすさぶビルの下であった。
かろうじて財布は見つけたが、動き出してから、免許証が無いのに気付く。
でも、もう既に高速に入ってしまっている。
コトは起こり出し、コトは収束し出していた。
僕は吸わないけど、彼やオジサン達は吸うから、助手席と運転席の間にある引き出し式の灰皿にはシケモクの山ができている。
数時間前までは、認められた名前が行き交っていたのを思い出す。
野っ原に一人で倒れていたのは、どこかのビルの上から吹き飛ばされてきたのだろうか。
さっき目を開けてから、帽子を深く被ることにしたのだ。
次の瞬きのときには、脱ぐことにしよう。
僕の覚えたての言葉を、これから会う人は何語と思うだろうか。
ただの声。ただのわめき。ただの歌。ただのぐずぐずの、どうしようもない単調な詩か。
滑走路まではもうすぐと、看板を見たのは二分前。
いまは時速なにがしだから、ガソリンはきっちり、ギリで足りる。
カーラジオで聴く、十代向けの工場産のジャンクフード音楽の間で、流れてくれた「ロビンソン」(スピッツ/1995)に少し救われる。
そうか、95年だったか。あの忌まわしき年。ナチスが生まれた年の話じゃないが、日本にとって、病みという闇の時代がはじまりを告げた年。僕は中学三年生で、君は中学二年生だった。
君の卒業式のことを思ってみていた。
学校をサボタージュして、エヴァの映画版を見に行ったということを思い出す。
君が唯一行った悪い事だったはず。
その頃は、コンビニの入り口前にある灰皿から、しこたまのシケモクを集めていたんだろ。
君の無精髭には爽やかすぎるかもしれないけれど、同じ美大の東京の方の連中がバンドを作って、同じようにこうして歌って、人々の心を動かしてる。
ここからどこかの町へ高速移動できるように、フライトもいまじゃわけもないように、僕らがたとえアートと呼ばなくても、人々は毎日の仕事で衝撃を与え合っていた。
町は勝手に変わっていくもの。
そう、エヴァから十年が経ったんだぜ。
今夜はアルバイトをしているけど、ここでなんとか下道に降りて、旧空港から発つ君への賛辞と、写真を待っているのだけは、言いたくて。
1995年。
同じように鼻水をたらして、人々が医療に従事する映像を見ていた。