月曜日, 3月 27, 2006

萌えるな、キスをしろと監督は吠えていたけれど

新作レンタルでも安いというのに浮かれて、一泊二日にしておいたのが大間違い。土日のゴダゴダで、またもや延滞をしてしまった。しかも予想通りに内容もイ マイチで、見事にパッとしない。そのタイトルは「機動戦士Zガンダム ll -恋人たち-」(監督,富野由悠季/声,飛田展男/2005)。
ロボットアニメの王道。ガンダム第二弾、「機動戦士Zガンダム」(同/1985)の映画三部作リメイクものの第二作。キャッチコピーには「新訳Z」と書かれる。
第一作のときに呆れ果てたのだが、モビルスーツの美麗なギミック鑑賞目当てで借りてみた。断然、第一作よりも新しい絵のボリュームが増えておりビームの波 動ひとつにいたるまで、丹念で格好良い。見せ場の戦闘シーンも卒のない感じ。でも、依然としてテレビ放映当時のカットは時々出てくるし、いくらデジタル処 理でズームなどをかけても、逆に見苦しくて薄っぺらいだけで、トーンダウンしてしまうのは否めない。これが今回の「新訳Z」の疑惑渦巻く点であり致命的な 点だと思う。 前情報でそれは知っていたので、批判だけではなく、意 識して鑑賞してみると、ビジュアルの絵柄ひとつで、その登場人物の性格が描き出されることになるんだなということを、頭のなかで考えた理屈ではなく実感し た。80年代当時の絵柄のカミーユは、00年代の絵柄のカミーユよりも硬派な性格で、もっと気難しく見える。00年代のカミーユは、特有のナイーブさが 甘ったるいところにまで解釈されている感じ。簡単に言ってしまえば、時代性が絵に出ている。それが「新訳」だというのだろうが、話の展開もほとんど尻切れ トンボの駆け足で進むもんだから、なんともストイックだし、オリジナルのテレビ放映版を知らない者はわけがわからなくなるだろう。水で薄めた関連コンテン ツという内容に見える。00年の絵がデジタルレタッチで描かれている点からも、全編がそのままプレイステーション2のゲームみたいだ。CGで描かれた戦艦 が、くるっと回転するシーンなどに、まるでいま自分が十字キーで操作しているようなちゃっちい感じを見る。やはり戦艦はゆっくりと、画面では捉えられない くらいの重みを持って移動をしてほしい。おそらくこの違和感は、構図の問題で、画面というものが、人間の視界を模しているのだということを思わせる。画面 にすっぽり入りきってしまうと、戦艦のスケールは損なわれるのだ。宇宙空間などには、大きさを知らせる木やビルなどの背景も存在しないから、余計に。そこ に音の質感や、色、スピードが合わさって、戦艦の重みが生まれるはずだった。
モビルスーツ表現は、細部描写と遠方からのショットなど、多くの視点を繰り返したりするので、戦艦のように軽くは見えない。むしろ、直線の引き締まった感じや、プラモでの洗練を思わせるシャープな造形美が決まっておりカッコイイ。

00年代の主人公達は、安っぽくブチュブチュとキスをしていた。80年代のファーとカミーユはこんなに積極的じゃなかったはず。

夜遅く、豚の角煮を御飯にとり、ごろごろしてテレビをつけたらアニメがやっていた。別にエッチいアニメじゃないみたいだったけど、キャラクターはどれもこ れもがまるっこくキラキラして魅惑的な要素を帯びている。今日びのアニメには、皆一応に「萌え」の雨が降り注いでいるのだろう。先日のアニメーションフェ スティバルの終わりの挨拶で、企画者の吉田氏が「アニメ」と「アニメーション」の違いを話していたのを思い出す。そう、日本では「アニメ」のシーンが異常 肥大しているのだった。
もはや、商業ベースから逃れないと「萌え」要素を排除した絵柄のアニメは作れないのかもしれない。
「萌え」への反抗として、筋肉ムキムキなギャグものに走るのではなく、肥大シーンに迎合せず展開される「アニメ」が見たいのだ。
多くの監督勢は、そう考えているであろうと思いつつ。

http://www.z-gundam.net/z2