金曜日, 8月 04, 2006

愛のために疑いを持つことがある

僕は君の原付に乗って、遠くの町まで走ったんだ。
帰りは前のライトが点かなくて、深夜三時に 60km/h で闇の中を突っ切った。
前のめりにしていると、少しだけ前方を見て識別することができる。お尻の赤いランプは生きてくれていたから、迫ってくる車には認識されたので良かった。深 夜三時の旧道は、がらんとしていて、岩倉駅前などで「ここなら "TOKYO NO BADY" みたいな写真は簡単に撮れるな」とつまらない冗談を思う。

今日は亘さん宅まで単身向かって、ドイツに持っていくポートフォリオの作品概要文や、ステイトメントの英語訳仕事をお願いさせて頂いた。自分がどのような ことを考えて、どのような作品を作っているのか、という紹介の意味を持ったポートフォリオを作りたい。合わせて bnap06 での出品作品の話もする。確信をひとつ持つ。
越後妻有トリエンナーレの写真をたくさん見せてもらい、あたかも行った気分になる。ボルタンスキーの廃校での展示が一番興味を惹かれた。

クーラーのよくきいた室内にて、鍋をつつき汗をかく。
帰りは原付と車だったので、数人で、ゆっくりとめどなく話した。
作品を展示するその場所に行かなければわからないことは山ほどある。それは進行というものだから、落胆するのは間違いだ。
届かなくなった声に落胆するのも実は少しフェイクのようなところがあって、僕にはそれでは仕方ないという気持ちのほうが強い。それもひっくるめて「ごめんなさい」と謝る姿を思い浮かべる。人は愛されたくて、愛したい生き物だ。
寝静まった西山氏のアパートより、お願いしておいたスキャナーを拝受する。君の落胆ぶりに戸惑ってしまった。今日の朝、追いつめられた小学生らを見て、笑 うしかなかったわけではない。自分の無力さも含めて、笑って伝える姿勢はニヒルとか批判されるものなのも仕方ない。ただ僕はそうやって、愛のために疑いを 持つことがあるのだ。

そしてそして闇を闇を突っ切る、更なる速度に、憧れを持った言葉。

http://www.echigo-tsumari.jp/