火曜日, 8月 01, 2006

自殺すると電話口で言われて、そんなの何の解決にもならないんだよねと答えた

麻酔を打つ注射器本体から、電子音で「ほしにねがいを」が流れてくる。誰か携帯が鳴っていますよと言うことはできない。上顎が痺れてくるからということもあるが、ぱんだ歯科にて、僕は冗談を言わない患者で通っているからだ。
「ドイツへのご旅行は良いですね。きっと人生の糧になりますよ」
良い事言うなァ、この歯医者さん。
今日の治療は酷い虫歯を抜いてもらった。虫歯のことを「爆弾」と呼んでいた。これで僕の口内には爆弾が無くなったことになる。木曜の昼に抜糸だ。
三十分ほどでお金を払って帰る。
若者のセックスの平均時間は三十分強!関西のテレビでたかじんが笑う。ほっとけ、とそれを笑う関西人。僕はどちらかというと関西方面の人。北名古屋の地に住んでいる。
買ってもらったスニーカーの箱に、猫の鬱がすっぽりと入る。完全に身を全て箱に任せて寄りかかって眠るという芸当をしている。なんというデブ具合なんだ。 可愛さにまたもや悶絶しつつも、これが猫のお中元、全国有名百貨店でもゆうパックでも扱ってるよと写真を撮る。カメラを向けると体勢を変えるのが鬱の習 性。あと掃除機も怖い。まだまだモデル猫への道はほど遠いな。
先日、友人の彼女がこの猫を見るときに、私んちの猫のほうが可愛いけどねと先に宣言してきた。この台詞は何度も猫好きから聞くし、僕も言わなくても心の中 で思ってしまう。だから猫好きの会合は常に愛猫と飼い主の世界だ。それでも集っている図が面白い。そういう共感関係も楽しいコミュニティだ。
以前、僕は作品で「みんなのうっちゃんまん」という我が愛猫を撮ったビデオ作品を考えたことがある。遠藤憲司が猫の鼠を歌うように、飼い猫をモチーフにし つつ、誰にでも愛されるということについて取り組もうと思った。そんなふうに社会を楽しくしようと動く事ができるはずだ。
ビデオにて「ディスタンス」(監督,是枝裕和 /ARATA、寺島進/2001)鑑賞。ラストが奇麗なんだけど、ストーリーが分からん終い。疎い自分でなくても首をかしげるはず。ネットで調べてもイマ イチはっきりせず。ただ映画としては、強くて訴えるシーンなので見入るラストだった。カルト教団の描写部分が嘘っぽくて、それがリアルで、登場人物の心の 揺れは本物に感じられる。オウムもみんな馬鹿げた嘘みたいだった。そんなものに自分達の家族や社会は壊されたたのかという屈辱感がある。オウムの周囲の親 族なども映画のような現実にまきこまれたのだろうな。
是枝監督の魅力を感じつつも、理屈で責められる印象が拭えず、僕は今のほうが圧倒的に面白くなっていると思った。
編集者、末井昭氏が日記で西川美和の最新作「ゆれる」を、一般に受ける要素が増えたと賛していたと聞き、同じようなことを当てはめて考えてしまう。やはり「誰も知らない」(2004)が大きいのであろう。また見てみよう。

高校三年生と大学一年生の悩み相談をした。メモを送る。
死のうと言っている人に死ねとは言えない。
マジで、それは言ってはいけないが、たちが悪いのは、逆に彼や彼女がその構造を縦にして甘えていることだった。理解はできるが。だから、死ねという言葉と同じ強さで生きろと言うしかない。同じ強さで彼らの真剣さを茶化さなければ否定できない。
僕らは地図の話しかできない。
彼らの家の中のことについてをあれこれ言うことはできない。
僕らは彼らと僕らの町についてを話そう。
僕らの猫が車に轢き殺されない町のことを。

http://www.kore-eda.com/distance/