金曜日, 9月 24, 2010

チェルフィッチュ〜spectora〜奇跡の女子会

チェルフィッチュ「わたしたちは無傷な別人である」を見に愛知芸文センターへ。あいちトリエンナーレでの世界初初演。しつこいくらい初演だと連呼される。ここに行き着くまでの何回かの発表を経て調整されているとのこと。詫間さんもえりっちょ(from 金沢)も見に来た。

舞台は飄々と進むが、整理されたしつこさがある。その台詞と身動きの応酬、蓄積は知的な匂いを漂わせながら 基本的な感情は悲しい。不理解の理解。無傷だと呼ぶときに傷を意識すること。

アフタートークは演出家の海上宏美先生とチェルフィッチュの岡田利規氏。80年代に盛んに行われたという意味の無意味を問う演劇活動を引き合いに、チェルフィッチュへ迫ろうとする展開だったと思うが、解釈と固執が互いに強く、時間も無いなかで困難な印象だった。

その足で、名古屋城から発射されている 池田亮司「spectora [nagoya]」を見に行く。ちょうど居合わせた面々とタクシーで移動。昨年に金沢でお会いした方々ばかりだった。
天まで届く光の柱は 嘘のようにそびえ立っていた。
驚いたのはその柱が出ている部分にも人が入ることが可能なことである。てっきり周辺まで近寄るだけだと思っていた。居合わせた人々は柱を撮ったり手を当てたりしていた。
柱はという形状は花火とは違って、対象物として認識しにくい。この場にいる皆はただ見て形を掴むこととはまた別の意識も持ちながら見ていたように思う。

from 金沢 重なって、自室で小さなウエルカムパーティーとなった。自分は翌日の仕事の為に泣く泣く仕事場へ一人移動。ああ奇跡の女子会。高い声で盛り上がってしまって夜中に怒られてしまうくらい楽しかったそうだ。