高嶺格展「いかに考えないか」を見に行く。七ツ寺共同スタジオ。
その言葉だと限界が見えてしまうのを避ける。聞き方も頼み方も読めてしまうとさみしい。すぐイメージできることの重要性? 即戦力ならぬ即想像力か。
じわじわと 言葉はある故に。あーでもないこーでもないの嵐にまみれて、自己愛だ SEXだ 書かれることに。恐れなくていい。学校すら変わるから。
いまさらだから思える、考えちゃう。考えられる。ラジオのタイトルコールだって。アーッ!に濁点ってめんどくて、一度戻るのが動き回りに似て。
夜は詩以前。朝まで歩いてなんぼの 夢んなか。ご静聴はイビキと手を取り合って、一緒に入った。黒色に塗られた板の部屋。ジャンプす、る。床は土だ。
歩ききれなかった僕たち。1999年 四日市で足が痛いと喚き出して、終電も無くて、 迎えに来てもらった。頭の中のイメージでは出来てた。町と町の間の野っ原をすっ飛ばしてた。ここいらは隙が無くて、息がつけない。みんな地続きだ。
いかに考えないかと問われて、兎に角考える。そして毎度「ジコアイ」や「アイ」と打つ。
http://www.ustream.tv/recorded/10213771