水曜日, 2月 07, 2007

僕のなかにある分散意識を絵にしたような

疲れているのは誰? 本当のことは、どうやって掴み取る?
スライド投影機に、僕の絵を映す。
ふたつの画面に広がる、僕の冒険。
僕の大切な君よ。僕はこうして煙草を吸っています。
もう何本目だろう。することもせずに、頭のなかで悶々としています。
僕は言葉を数えて、言葉を構えて、どうにかしたいとかき混ぜています。
あのとき僕は上京した気持ちだった。父さんへの手紙と称して、人ごみにもまれていると気取っていた。そんな葛藤はまだ生易しいものだった。いま目の前にある、意味を持たせた絵画は何もできないと思ってしまった。今日。画室の中で眠っている僕の自画像たちよ。起きさせるのはいつか? いつが僕が痛い目を見る日だ?今日。君は怒った。君は笑った。言葉を絵にしていた。まだこんな関係のところでうろうろしている? 言葉と絵のことを、まだやっているの? っていうか、そんなことやってたん? ホントに? ただ目立ちたいだけだったんじゃん? ただ傷つけたくないと傷つけてただけじゃん? 分かりやすいドラマみたいでいやんなる。紋切り型でもなんでもいい。本音は愛の姿を見たいだけ。イメージは都合良く、いつだってお前に都合良く、広がっていってしまう。滲んでしまうのだ。僕の仕事は何であるか? 夜道を投影機担いで帰る。明朝はこれで駅まで走る。えぐりとる言葉で、鳥肌を忘れさせたい。エクスタシーとも違う、オーガズムに似た、葛藤からの解放。逃げじゃなく、残っていくものを。明日には分かるさ。明日には変わるさ。携帯電話の充電を忘れずに。もう寝ようと、東国原知事も書いてるぜ。なんじゃこりゃあ。ピーチクパーチク。