この前ゲオで買った「たけし!オレの毒ガス半世紀」(著,ビートたけし/講談社/1981)が面白い。ちょうどツービート全盛期を経た頃のたけしが「オールナイト・ニッポン」でのラジオDJが当たっている最中で、言いたい事をしゃべくっている。おそらく口述筆記によるもので、そのままのノリだ。これを高田文夫とテレビに落とし込めば「北野ファンクラブ」というわけか。なんて合理的でやりたいこと、できることに根ざした展開をしているんだろう。
本の帯には「ビートたけしがキミに贈るメッセージ 人生に何も期待するな!やりたいことをやれ!生きたいように生きろ!」とある。最終章での締めが「人生に期待するな!」で終わっていた。いまや たけしと言えば芸能界で不動の地位に居て、テレビの視聴者からは、言いたいこと言っていればお金が入ってくるように見えるが、この頃はまだこの先わからない境遇だったことが伺える。いつ貧乏暮らしに転落するかもしれない不安。そうなってしまったら、戻ってきたと思うだけ、やっていけるさと楽天的にも覚悟している。やはりしぶとい。これはいまもそうなのだろう。ただ、不安の対象が「没落」ではなく「死」であろう。そうバイク事故以後から、「死」に辿り着く狂気をやるというのは、明確になった。映画だけではなく、音楽や絵画や軍団や漫才で。
たけしのパフォーマンスは、次から次へと、帯にある言葉のままだ。だがその、言いたいことを言い続けることがどんなに難しいか。
一番弟子である東が、いま知事になっているという状況が、まるで映画のように見える。東が闇雲に政治へ突っ走る姿は、痛々しい。どんどん たけしと離れていき、たけしはまたどんどん、自分の欲求へと潜っていく。若頭はカタギにも受ける事業へと手を延ばし、軍団を去り何かを見失う。大親分は、初恋の人に毎日会いに行く日々を重ね、いつかヒットマンに殺される。いや、そういう死に向かっていた。大親分のくだりは「Dolls」(2002)から。
たけしは、タブーをお茶の間に言ってのけ続けた。それに時代が追いつき、いまや当たり前になった。いまのお笑いの奴らはこの上に立って言葉を扱い、身振り手振り「芸」をして、越えようとしている。それを実証している奴だけが、生き残っていく。どんな世界でも一緒なのだ。時代は変わって行くが、忘れられることはない。実体験していない世代は、既にある古いものとして偉人の仕事を知っているのだ。
グレート義太夫のホームページが面白い。猫の鬱が、達観した目でこちらを見てきていた。
http://www.youtube.com/watch?v=YLySR-7EuQM
http://fat-man-web.hp.infoseek.co.jp/