ピーター・ポール&マリーは略して PPM。そのひとり、ポール・ストーキー氏が、北朝鮮に拉致されている 横山めぐみさんに捧げる歌を作ったという。
昨晩、NHK のニュースにて、めぐみさんの御両親とポール氏がスタジオ出演し、その歌「SONG FOR MEGUMI」も生で披露された。両親は「夢のような話」「しあわせものです」と涙してコメントされていた。ポール氏は「思いを込めて歌っておりますので、どうか御理解ください」と歌い終わったときに述べた。丁寧な通訳だと思った。
以前に展開された映画「ABDUCTION」(監督,クリス・シェリダン、パティ・キム/2005)を見て、ポール氏が歌をつくろうと思い立ったという。
これらの展開は、いまこの核問題と六カ国協議でアメリカが譲歩していき、日本としては黙っているような拉致問題の状況に対して、なんとか動きをかけようとする狙いもあるのだろうと思う。
情緒的に感動するのは悪いことでは決して無いが、その間に巧妙に進んでいってしまう時間もあるような気がしてならない。だが感情こそが力になるのもそうだと思う。事務的に問題解決をというだけでは解決しない。横田夫妻は巧妙に強靭なのだ。人が目を向けないもの、向けようとするもの、それについてを激痛のなかで見極めている。北朝鮮は、その奥底であるからだ。
巧妙な強靭さで言えば「SONG FOR MEGUMI」のなかで、ポール氏が日本語で歌い出すというのが、日本人の心の琴線に触れるようにされているなと思うし、実際グッとくる。そこからサビは英語で伸びやかに歌われるという構造自体が、ポール氏が めぐみさんのことを歌うことへのためらいや意志、姿勢そのものがあらわれているように思った。
政治的な巧妙さではあるが、そのまんま東知事が選挙運動や所信表明演説などで、宮崎弁を交えながら力強く語るところなども、同じく言葉のディティールによる訴え方である。ポール氏が音として日本語を歌っているのを見て、それを思い出した。そして、改めて、言葉がどのように接してくるかは極めて重要だと思った。
「SONG FOR MEGUMI」をラジオでリクエストしたら、流してくれるんだろうか。ローカル局など、明らかに契約じみた J-POP ばかり繰り返されているわけだが。
晩に、YouTube にて、ポール氏来日以前のニュース映像を見つける。
奇麗な歌だと思う。
「力の限り、魂を叫びなさい」というところがとてもいい。
http://www.youtube.com/watch?v=M664fUDYqtE
http://www.youtube.com/watch?v=WQCfS6aZubM