水曜日, 2月 28, 2007

正直なインプロビゼーションを

ことばあそびの受け売りで、すぐにみんなであいうえおおえういあ。
かきくけこけくきかさ
しすせそそせすしさたちつてとてつちた
なにぬねのねぬにな
まみむめもめむみま
やゆよゆや
わをんをわ!
公園で走る転がる顛末夕方はすぐに晩。
夜は実験プレビュー。ラーメンに正直なインプロビゼーションを。どんどん行くのであります。

火曜日, 2月 27, 2007

ことばをあるく9000日

「アラマ、あいうえお!-ことばをあるく9000日-」(著,波瀬満子、谷川俊太郎/太郎次郎社/1996)を図書館で借りて読んでいた。
いまでは抵抗なく受け入れられるであろう「ことばあそび」を、舞台から展開していた両氏によるプレイバック対談本。波瀬満子さんは、谷川俊太郎、寺田晃ら と共に「ことばあそびの会」を 77年に結成し、以来 演劇ともミュージカルとも定義できないパフォーマンスを続けてきた。その風当たりと「ことばあそび」が必要であるという確信が語られている。谷川俊太郎は 共にあそびを作りながら、外野に立つことを意識しツッコミを入れているのであった。一種のお仕事ではなく、詩人として第一義に問題としていることが「こと ばあそび」と重なっていた。いまや、谷川俊太郎と言えば「ことばあそび」要素を持った詩は定番であるから、この仕事は大きいのであろうと思う。

アカデミック臭がするものも、かつてはアヴァンギャルドの前衛バリバリであったわけだと知る。
詩人はいつもそうだ。

しかしならば、これが「前衛だろう」と取りかかるのは野暮ったい。
第一義の問題ってぇやつを掴まんばな。
今日も電車から自転車で帰る。

http://www.ulipo-hassemitsuko.com/

http://www.tarojiro.co.jp/cgi-bin/SearchMain.cgi?operation=3&ISBN=4-8118-0807-X

月曜日, 2月 26, 2007

言葉が出てこないという言葉

「これを言っておかなくちゃ、私の気が済まない。」
熊本典道氏、元裁判官の言葉。
死刑確定の袴田事件。冤罪の悲劇。言葉は出てこないだろうと涙する。ニュース、ニュース、ニュースを見る。惨劇が多い。言葉が出てこない。ぐりぐりと頭を押し出して、何かを言うぞとする。
一日中引きずっている足かせを、どうにかして外すために。

日曜日, 2月 25, 2007

絶えず口にする

東海三県を渡る列車に座り、チョコレートとお茶を絶えず口にする。
駅前でハンバーガーをぱくついて、テリーマンみたいだなと思い、夜は牛丼で日本代表超人だった。駅前では続けてパック寿司のサラダ巻きを食べた。
本当にすぐに腹が空く。
本日は、IAMAS、日本デザイナー学院、名古屋造形大学と、卒展三連チャン。電子系面会二連チャン。テレビ実験も二連チャン。それからほとんど朝まで新規プロジェクト脳のリセット。
コーヒーとポップコーンも絶えず口にする。
本当に実感を得てから。

土曜日, 2月 24, 2007

犬や猫といっしょに

バトーの愛犬、家に来る。
女の子にて、嬉しくて飛びつきまくり。
Fedex Kinko's とても役立つ。オムライスを食べて、100%の無花果ジュース飲む。
はなきんの晩は駅前で、路上詩人が停まっている。
それらを横目に先を急いで、また電車を乗り継いだ。
耳マスクをつけた犬が、トコトコ歩いてドタッと眠る。
山奥にある温泉に行きたい。

金曜日, 2月 23, 2007

Acid Moonlight

月はどっちに出ている?
見える?
見えない?
暗い地球に降りた。
そのままでは帰れなかった。
君の声は強く
僕の声は小さく
つまびく弦などない
鉛筆を削り直さなきゃ
カッターは何処だ?
三日月がとんがっていてすごかった。
屋上に上ろう。
最後は
駅裏じゃなく
バイオリンの出来る者は!
手を挙げ、
絵を描ける者は
手を挙げ
一斉にケータイを弾け
指で弾け。
白い明るい、夜には月がある。
君はそのかっこうで帰る。
君は抱えて帰る。
見える?
見えない?
see you
という挨拶。
一番好きな曲は何?大人ななかで。
それじゃあ、だめだよと叱咤される夢を見た。

「a touch of fullmoon shows in the night」(2000)より一部引用。

木曜日, 2月 22, 2007

猫の手も借りたい

何かと飛ばした。iPod はやはり爆音である。今週の、bnap06 の会議は実務作業。まるでバイトの続き。次から次へといろいろやってくるもんだ。要領が悪いから、すぐに絡まってしまうのだ。深夜にネットで調べもの。wikipedia の恩恵を受ける。最近「ああこれは恩恵だ」と思うこと多し。

今朝は恩恵だった。優しさを守る力を手にしていた。プリントされた写真が日光に輝いて、いままで見えなかった線がきらりとした。いつもこんなふうに必死だったろうか。
猫の手も借りたい。
222。鬱と眠る。

水曜日, 2月 21, 2007

考えなければいけないことがたくさんある

子どもたちの興味対象はいつもその子のすべてをあらわしている。
絵が輝くとき、それはその子の興味対象であることだ。
「模写」とは、見つめることを。
計るよりも、見つめることを。
西山氏と印刷作業。絵画教室で行うべきことを改めて考える。
その前、それからは詩作。
机の上で。
考えなければいけないことがたくさんある。

火曜日, 2月 20, 2007

SONG FOR MEGUMI を聴いて

ピーター・ポール&マリーは略して PPM。そのひとり、ポール・ストーキー氏が、北朝鮮に拉致されている 横山めぐみさんに捧げる歌を作ったという。
昨晩、NHK のニュースにて、めぐみさんの御両親とポール氏がスタジオ出演し、その歌「SONG FOR MEGUMI」も生で披露された。両親は「夢のような話」「しあわせものです」と涙してコメントされていた。ポール氏は「思いを込めて歌っておりますので、どうか御理解ください」と歌い終わったときに述べた。丁寧な通訳だと思った。
以前に展開された映画「ABDUCTION」(監督,クリス・シェリダン、パティ・キム/2005)を見て、ポール氏が歌をつくろうと思い立ったという。
これらの展開は、いまこの核問題と六カ国協議でアメリカが譲歩していき、日本としては黙っているような拉致問題の状況に対して、なんとか動きをかけようとする狙いもあるのだろうと思う。

情緒的に感動するのは悪いことでは決して無いが、その間に巧妙に進んでいってしまう時間もあるような気がしてならない。だが感情こそが力になるのもそうだと思う。事務的に問題解決をというだけでは解決しない。横田夫妻は巧妙に強靭なのだ。人が目を向けないもの、向けようとするもの、それについてを激痛のなかで見極めている。北朝鮮は、その奥底であるからだ。
巧妙な強靭さで言えば「SONG FOR MEGUMI」のなかで、ポール氏が日本語で歌い出すというのが、日本人の心の琴線に触れるようにされているなと思うし、実際グッとくる。そこからサビは英語で伸びやかに歌われるという構造自体が、ポール氏が めぐみさんのことを歌うことへのためらいや意志、姿勢そのものがあらわれているように思った。
政治的な巧妙さではあるが、そのまんま東知事が選挙運動や所信表明演説などで、宮崎弁を交えながら力強く語るところなども、同じく言葉のディティールによる訴え方である。ポール氏が音として日本語を歌っているのを見て、それを思い出した。そして、改めて、言葉がどのように接してくるかは極めて重要だと思った。

「SONG FOR MEGUMI」をラジオでリクエストしたら、流してくれるんだろうか。ローカル局など、明らかに契約じみた J-POP ばかり繰り返されているわけだが。
晩に、YouTube にて、ポール氏来日以前のニュース映像を見つける。
奇麗な歌だと思う。
「力の限り、魂を叫びなさい」というところがとてもいい。

http://www.youtube.com/watch?v=M664fUDYqtE

http://www.youtube.com/watch?v=WQCfS6aZubM

月曜日, 2月 19, 2007

コマンド?

まちなかで少し時間を余してしまったときに、喫茶店に入るのが悔しくていつも公園を探す。
ようやく見つけることができて、腰をおろすと、スーツ姿のビジネスマンがブリーフケースを開いている。肩身狭そうにある公園だけど、重宝がられているんだよなと思う。
人生は続くんだ。
公園でアイス食べる、優しさについてのマニュフェスト書く。
いや自分は政治家でも、店主でも企業家でもない。
翌朝にはゴミを出す。
腹を空かした猫の鬱に、ごはんを買って帰る。
コマンド?
コマンド?
コマンド?





日曜日, 2月 18, 2007

愚かなときも正しいときも

マーガレットは穏やかだ。
日曜午前十一時半の図書館には温かい陽射しがあった。
木製の本棚はゆっくりと背中を伸ばしていた。
すぐに水に入れるだろうと思って、お願いした簡易包装の紙に横になっている、数本の花。車中で夢を見ていたろう。我々は四川に満足して、それからお寿司まで、言葉と色を前にした。部屋には幸せがそのままかたちになって、不甲斐なさはそのまま空白の時間になった。愚かなときも正しいときも、男は写真を撮るだろう。また写真を見るだろう。「もう、家に帰ろう」(著,藤代冥砂/ロッキングオン/2004)。男の言葉が過去形で語られていること。それが実直な力である。
クイズも受験も人生も机の上で拝み、失った時間のために何かをするべきだと思った。
涙についてを書く。
「泣けないときは決まって泣けない、そういうものだ」とは村上春樹で、僕たちは補いあっているし、互いの豊かさを膨らませあっているのさとは、かの詩人で、「そういうこと?」と猫博士に聞かれたあとに「そうかもしれない」と気取って答えたらまた村上春樹だ。あと缶ビールと「やれやれ」をひとくちできればノーベル賞。
だけれども、本当に欲しいのはダイナマイトですよねとお聞きしたい。そうだダイナマイトについてを次は書こう。
まだ涙についてを書いていない。
夜のホームにて、黄緑色のベンチに座っていると手元が寂しくなった。忘れ物をしてきたように思った。行きはマーガレットを抱えていたからだ。処女詩集を越えることはできないうのは、そうだろう。それでいいのだし、それを見つけることができればその詩人は続けていくことができるのだろう。僕たちは、いたいけなふりをしているわけじゃなく、涙についてをどう書き、どう画を抱くかを、考えあぐねて呆然としていたのだ。猫は何度も行き来して、はやく冬が終わらないかと鼻を濡らしている。
マーガレットは穏やかだ。

土曜日, 2月 17, 2007

雨のけぶるなか

雨のけぶるなか、幾所を廻った。
地下鉄一日乗車券の恩恵を授かる。
夜に円頓寺商店街の「アイン ソフディス パッチ」で、平田あすかさんの個展を見た。繋ぎ合っている手のシルエットが、ふっくらしていた。残酷ではない。信じるものが強靭だから許さないとしている絵だった。
上小田井駅まで帰って来て、雨は相変わらずだったが、そつなく決めたくなってジャスコで買い込む。トップバリューは安くて良い品ジャスト・アジャスコ。グループ魂ね。
5kg の米を担いで、傘さし運転で段差の激しい歩道を帰る。
自動車中心の発展構造をまともにくらう。
電話で英会話をしていると、一気に眠くなった。










http://ainsophdispatch.org/

金曜日, 2月 16, 2007

椿を夢想する惨めな姿を想像する

花椿と詩に、そんな繋がりがあったとは。奇麗でとても惹かれる。
朝、そう思い、
昼は腰を曲げ、
夕はラジオを切りたく、
夜は、ちくさ正文館とシネマテークと書物の森に個展の案内を置かせて頂く。
そして百六十円分を歩いた。走り去る急行に照らされて惨めな気持ちにもそりゃなるが、これが自分の姿なんだなぁと。気持ちを穏やかに広げる。
正文館で立ち読みした「やっぱり心の旅だよ」(著,福満しげゆき/青林工藝舎/2007)を読んで、小学生にオヤジ狩りされるシーンに胸を打たれた。この漫画家は鬱屈したエロイ病みを惨めなまま全面に押し出してきていて良いなぁ。感銘しちゃう。買えばよかったかな・・。寺山修司とスタジオボイスにしちゃった。
深夜は、独白の時間。

http://www.shiseido.co.jp/social/html/m_gendai.html

http://www.seirinkogeisha.com/book/234-4.html

木曜日, 2月 15, 2007

そんなアクション

空気を入れたら見違えるようだ。
定例会議は、bnap06 報告展の打ち合わせだ。
カーステレオに「ANIMAL INDEX」(ムーンライダーズ/1985)だなんて、どんなんだろう。
温かい時間と数枚の写真。
思い出し、色を見ている君が笑っているのを、思い浮かべる。
落ち着いて、ぐっすりと。
帰って来て、終わりは近い。
突撃してきたこの想い。







水曜日, 2月 14, 2007

gift・art・poet・meet

今日びの小学生はおませさんだわ~。教室前に、市内へ繰り出し展覧会の案内をギャラリーに配布設置に廻った。雨がぱらつき、歩くと汗をかき、異様にベトつき、やけに疲労感。チョコをたくさんもらった子に嫉妬し、キュビズム風ドローイングから、お礼の手紙を書こうという時間にシフト。来月なんてあっという間でごんすよ。ホワイトデーはみてらっしゃい。展覧会も見にらっしゃい。僕はおませさんでもなんでもない。「美しい」という言葉を頂き、それを誇りに行きましょう。会って言葉を交わせれば、なお嬉しい。

火曜日, 2月 13, 2007

悔いる前に飛べ

「RADIO SAKAMOTO」を聴きながら、カッティング作業。私はつくづく馬鹿だい。構築したものをすぐ崩すような真似をしておきながら、認められたいと夜を彷徨う。ようやく Pod Cast の前に座り、カッティングマットを取り出す。すぐに挽回はできない。そういう話ではないのだ。姿は残るもの。ゲロってしまいそうなくらいの修羅場や心境。血色が良くなったねと言われたことを思い出す。強い握手も。自分でも鏡を見てそう思ったのだ。悔いる前に飛べ。寒い部屋はそろそろ春の章をみせる。すぐだっ。

http://www.j-wave.co.jp/original/radiosakamoto/top.htm

月曜日, 2月 12, 2007

走れ、フラウ・ボゥ

ガンダム映画三部作、昨晩より続けて鑑賞す。
男泣き、女泣き、総じてガンダム泣きだ。
何度見ても、いや今日ははじめての。
人の革新を妨げるものと戦う。
気持ちの動きを妨げるものと戦う。

http://www.gundam.jp/

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%9F%E5%8B%95%E6%88%A6%E5%A3%AB%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%A0

日曜日, 2月 11, 2007

愛のテーマ

頭のなかでまわっていた「We miss you ~愛のテーマ~」(詞,糸井重里/曲,酒井省吾/2006)の一曲を iTunes Store で購入した。

よく眠れるようにと、このテーマを流して、銭湯で汗を流して、鍋に野菜とラーメンを流して煮込んで、一年戦争を流して。

We miss you のなかに I miss you のなかに。

http://www.1101.com/MOTHER3/index.html

土曜日, 2月 10, 2007

おめでとう、おふたり

人類の歴史は結婚の歴史、戦いの歴史である。
有史以来、結婚と戦いが止んだことはない。
結婚が戦いを呼び、戦いがまた結婚を呼んだ。
宇宙世紀0107、昭和82年、二月、また新たな歴史がはじまることを祝った。
約束に乾杯。
天井を見上げて、残っている言葉に乾杯。
ふがいないこと、悔いることは思わぬ。夜道を振り返るな。己を振り返れ我よ。
歴史は逆行するように語られはしない。
都合のいい妄想から覚ますようにだ。
戦いは愛のためでなければ続かない。
抱きしめるのは、氷を溶かすようにだ。

金曜日, 2月 09, 2007

その戦いをやめないで、猫よ

やっぱりバナナは朝の果実よ。哀しいことがあっても、食べなくては元気が出ないぜよ。かぜのはなの正体は化膿した傷口。可能性はまだ転がっているさ。風に吹かれているという歌い方で、まだ長いマフラーを巻いて帰るのだ。「抱きしめる」は明日で終わる。いよいよ面倒な意識ともお別れになる。内面はもっと単純で、たけしの言っていたとおり、やりたいだけだ。人も猫もあっけなく逝ってしまうんだよと電話口で聞き、日記で読む。そしてお金もすぐに無くなるものだった。そんなものを両天秤にかけてしまう脆弱性を抱えながら、愛情をふたりでじっと待っていた。約束を祝う日を忘れてはいけない。落胆する日を忘れはしない。宇宙に舞うバナナの皮は、町指定のゴミ袋にちゃんと入れた一片。いつかの朝もこうして食べていた。数秒後か何年後かに降って来て、傘もささないから、つるんと転ぶだろう。それを知った。痛いことを分かっていながら、会いに行くだろう。越えるのは朝だ。夜じゃない。夕方に対して、明け方という呼び名ではまだしっくりこない。言葉が意味を越え、目が意識を越え、日が夜を越え。蒸発はしない。この膿はゆっくりしみこむ。不足分の催促状は止まらない。頭を抱えろ。頭を捨てろ。猫は畑にいた。外傷は無い。回虫のようなものを、きっと分かっていた。一本の線しか見えずに、里での日々を駆け回っていただろう。そう想像する。陽射しを受けて、バナナの皮と猫の糞が畑の土となっている。やってくるものはこばまず、去ろうとするものには鳴いた。窓はまだ小さい。二階から見えた木を思い出すのはとても疲れる。向こう側のこと。向こう側に手を振ったこと。約束を祝う日の前の晩に、駅前は残酷だ。知らない夢はもっと残酷だ。偉人に媚びる詩人を馬鹿にするのなら、既に偉人のふりをしろよ。それだけが姿の輪郭を呼ぶ術なのさ。見る為には、描かなくてはいけない。この窓は無なのだ。真っ白でも透明でもない、光で認識できるものはどんなに含んでいるだろう。何を?知らない。知ることじゃない。待つことでもない。

木曜日, 2月 08, 2007

人生に期待するな!

この前ゲオで買った「たけし!オレの毒ガス半世紀」(著,ビートたけし/講談社/1981)が面白い。ちょうどツービート全盛期を経た頃のたけしが「オールナイト・ニッポン」でのラジオDJが当たっている最中で、言いたい事をしゃべくっている。おそらく口述筆記によるもので、そのままのノリだ。これを高田文夫とテレビに落とし込めば「北野ファンクラブ」というわけか。なんて合理的でやりたいこと、できることに根ざした展開をしているんだろう。
本の帯には「ビートたけしがキミに贈るメッセージ 人生に何も期待するな!やりたいことをやれ!生きたいように生きろ!」とある。最終章での締めが「人生に期待するな!」で終わっていた。いまや たけしと言えば芸能界で不動の地位に居て、テレビの視聴者からは、言いたいこと言っていればお金が入ってくるように見えるが、この頃はまだこの先わからない境遇だったことが伺える。いつ貧乏暮らしに転落するかもしれない不安。そうなってしまったら、戻ってきたと思うだけ、やっていけるさと楽天的にも覚悟している。やはりしぶとい。これはいまもそうなのだろう。ただ、不安の対象が「没落」ではなく「死」であろう。そうバイク事故以後から、「死」に辿り着く狂気をやるというのは、明確になった。映画だけではなく、音楽や絵画や軍団や漫才で。
たけしのパフォーマンスは、次から次へと、帯にある言葉のままだ。だがその、言いたいことを言い続けることがどんなに難しいか。
一番弟子である東が、いま知事になっているという状況が、まるで映画のように見える。東が闇雲に政治へ突っ走る姿は、痛々しい。どんどん たけしと離れていき、たけしはまたどんどん、自分の欲求へと潜っていく。若頭はカタギにも受ける事業へと手を延ばし、軍団を去り何かを見失う。大親分は、初恋の人に毎日会いに行く日々を重ね、いつかヒットマンに殺される。いや、そういう死に向かっていた。大親分のくだりは「Dolls」(2002)から。

たけしは、タブーをお茶の間に言ってのけ続けた。それに時代が追いつき、いまや当たり前になった。いまのお笑いの奴らはこの上に立って言葉を扱い、身振り手振り「芸」をして、越えようとしている。それを実証している奴だけが、生き残っていく。どんな世界でも一緒なのだ。時代は変わって行くが、忘れられることはない。実体験していない世代は、既にある古いものとして偉人の仕事を知っているのだ。

グレート義太夫のホームページが面白い。猫の鬱が、達観した目でこちらを見てきていた。

http://www.youtube.com/watch?v=YLySR-7EuQM

http://fat-man-web.hp.infoseek.co.jp/

水曜日, 2月 07, 2007

僕のなかにある分散意識を絵にしたような

疲れているのは誰? 本当のことは、どうやって掴み取る?
スライド投影機に、僕の絵を映す。
ふたつの画面に広がる、僕の冒険。
僕の大切な君よ。僕はこうして煙草を吸っています。
もう何本目だろう。することもせずに、頭のなかで悶々としています。
僕は言葉を数えて、言葉を構えて、どうにかしたいとかき混ぜています。
あのとき僕は上京した気持ちだった。父さんへの手紙と称して、人ごみにもまれていると気取っていた。そんな葛藤はまだ生易しいものだった。いま目の前にある、意味を持たせた絵画は何もできないと思ってしまった。今日。画室の中で眠っている僕の自画像たちよ。起きさせるのはいつか? いつが僕が痛い目を見る日だ?今日。君は怒った。君は笑った。言葉を絵にしていた。まだこんな関係のところでうろうろしている? 言葉と絵のことを、まだやっているの? っていうか、そんなことやってたん? ホントに? ただ目立ちたいだけだったんじゃん? ただ傷つけたくないと傷つけてただけじゃん? 分かりやすいドラマみたいでいやんなる。紋切り型でもなんでもいい。本音は愛の姿を見たいだけ。イメージは都合良く、いつだってお前に都合良く、広がっていってしまう。滲んでしまうのだ。僕の仕事は何であるか? 夜道を投影機担いで帰る。明朝はこれで駅まで走る。えぐりとる言葉で、鳥肌を忘れさせたい。エクスタシーとも違う、オーガズムに似た、葛藤からの解放。逃げじゃなく、残っていくものを。明日には分かるさ。明日には変わるさ。携帯電話の充電を忘れずに。もう寝ようと、東国原知事も書いてるぜ。なんじゃこりゃあ。ピーチクパーチク。

火曜日, 2月 06, 2007

かぜのはな

情けないことは無いように。
もう、
疲れさせては、くだらない。
壁を叩く、エレベーターの中で。
ぽんこつ大臣も、ティーンズ向けのバンドも、もうくだらない。

殴られたみたいに、かぜのはな。
駅の改札で塗ってくれたのはこんなに赤い。
ユリで食べたタコライス、覚えてつくりたい。

窓を開けて、風を吹き入れて、チョコラBB飲んで。

月曜日, 2月 05, 2007

歌を歌おう

僕も「クリームシチュー」を思っていた。「便箋歌」はいい歌ね。
どこでも
いつまでも
声を出したい。
出せるようにしたい。

日曜日, 2月 04, 2007

入る度に道が変わるダンジョン、でもルールは変わらない

惚れた腫れたやってんじゃなくて、ちゃっちゃと行けばいいじゃん!
実家の親は、トレンディードラマによく突っ込んでた。
その時代のつきあい方はあろうよ。
でも、愛については変わらないものだろうよ。
うろうろ回って、終了寸前に投票所へ。昨晩とは変わって、凍てつく眠り。

土曜日, 2月 03, 2007

節分三唱

おにはーそとー、ふくはーうちー
おにいはそとー、ぶっちゃんまんはうちー
ティロリーロリ、ティロリロリロー

銭湯ひとつで見過ごす僕。何もできない特別な時間に。夜道の上に、満月より少し削られた光球がある。恵方は北北西。笑いながら食べ続けよ。しとめよ。自分が見たい日々を向くのだ。

金曜日, 2月 02, 2007

具体的な日は口ずさみに残る

うどんのどんどん庵が一杯百円 感謝祭をやっていて、大盛りでも百五十円なので、どんどん食べた。天丼まん みたいに語尾に "どん~" を付けてお話をしたどんどん~。
それから、駅前にフリーペーパー設置所みたいなのがあって、プロの書き手が連載していたりするのもわんさか置いてあった。もらってきた後でめくると、やっぱし無料な印象は持つが、売っているものでも、似たようなクオリティのもあるもんなぁと思う。「美術手帖」とか、内容はともかく広告ばっかりで、半分以上、広告買ってるみたいな気がしてくる。
借りていた「morphopoiesis」(著,向井周太郎/美術出版社/2003)の「コンクリート・ポエトリー選集」をコンビニのコピー機で写して二百五十円足らず。
「STARMAN.NET」にて、「Eath Bound」(MOTHERの米国題)のリミックスが 40曲も。「ROCK CANDY」というアルバム名でパッケージされていて、ダウンロードは無料である。

でも、それはそのようなクオリティに感じられる。コピーはやはり軽いトーンだし、リミックスはしつこいアレンジの音も多い。
でも、それらがフリーで手に入れられること自体を考えてみる。
百円ショップに口紅が売られているということ自体に感動していく。こんなもの誰が使うんだいと講釈を垂れる前に。

どんどん庵のおかげで、一日、元気に働けたどんどん~。
「コンクリート・ポエトリー」は「コンクレート・クンスト(具体芸術)」からやってきた。詩の具体化とは、そういうことか!
話していることによって。

http://www.time.u-tokai.ac.jp/cgi-bin/exec_cgi/ibibdet.cgi?CGILANG=japanese&U_CHARSET=euc-jp&ID=BB00186617
http://forum.starmen.net/?t=msg&th=31186
http://www.bijutsu.co.jp/bt/
http://www1.odn.ne.jp/dondonan/
http://www.ntv.co.jp/anpanman/profile/tendon.html

木曜日, 2月 01, 2007

ふたつの展覧会と、ホームページの引っ越しをひとつ

nformation です。来月に、企画展と個展を行います。日時などは以下の通りです。概要は、追ってお伝えしていきます。



企画展「帰国報告展 Bremen Nagoya Art Project 2006 "site scenes"」

昨年、ドイツ ブレーメン市で行ったアートプロジェクトの報告展をします。
私は「鉛筆はミサイルとロケットを持っている」を出品します。

会期・3月6日(火)-10日(土)
12:00-18:00 入場無料
10日は、17:00 閉館
9日 16:00-18:00に、ラストパーティあり。無料。

会場・アート&デザインセンター
名古屋芸術大学 美術学部内
北名古屋市徳重西沼65
アクセス・名鉄犬山線「徳重名古屋芸大」駅より徒歩5分。
駐車場有り、無料。



個展「言葉は窓」

会期・3月13日(火)-18日(日)
9:00-19:00 入場無料
18日は、17:00 閉館

会場・名古屋市民ギャラリー矢田・第1展示室
名古屋市東区大幸1番10号カルポート東
アクセス・地下鉄名城線「ナゴヤドーム前矢田」駅1番出口徒歩3分。
駐車場有り、1回300円。
http://www.gallery-yada.jp/


また、本日より、私のホームページの URLが変わりました。
お手数をおかけしますが、ブックマークなど御確認ください。

http://jinmurata.jpn.org

以上、お知らせでした。
どうぞお越し下さいますようよろしくお願い申し上げます。

今夜は異様に冷えます。空気が澄んで、満月が奇麗ですけれども、ちょっと耐えられないくらい寒い。部屋の暖房器具やスペースの使い方を変えていこうと見直しました。
ホームページをはじめて作ったとき「画室301」と名付けたのは、住んでいたアパートの一室の壁と床に段ボールを貼って、アトリエにしていたから。油絵を描けるようにしていました。それから引っ越して、101に変えたのです。いまはその名残りだけが残っていて、そのときのホームページには画室の写真とかバックに連続配置とかしていて、恥ずかしい感じだけど、実際の住んでいる部屋とリンクしているのが具体的で、生々しい力があったように思います。
今回の URL移転で、その初心を振り返りました。小奇麗ぶるのではなく、強い構造を持ちたいと思っています。このブログ日記も大きな要素ですが。
さあさあ。