火曜日, 3月 18, 2008

クワイエットルームへようこそ

またもや施設の制度か。
面倒な気持ちになって、僕は証明写真撮影機のカーテンに入った。
どうしてサイズをそれぞれ違うものにするのだ。顔の大きさは同じに写っているじゃないか。
サイズだけが意味で、写っているものへは意味を求められていない。
丁寧な案内だけがさも意味を持って繰り返されていた。

シャバでは同じクラスメートだというのに「店員」と「客」それぞれの服を着て、片方は焦って声がひっくり返り、片方は運ばれてきた丼にはすぐ手をつけずに ずっとケータイをいじっている。
意味どおりに遂行されているのは、丁寧な案内のせいだった。
いままでどうやって生きてきたかという身なりだけが、誰にも案内されずに放置されている。
それを迷子と呼ぶか、意味から解放されている家出人と呼ぶかは、人生をどう呼ぶのかと同じだ。

夜、「クワイエットルームへようこそ」(監督,松尾スズキ/内田有紀、宮藤宮九郎、蒼井優、りょう、大竹しのぶ/2007)を見た。
彼女が彼に言う「・・君は、面白い国の人だもんね。私なんてウザイよね。」というところで泣きたくなった。
意味と無意味については、拾っては投げ、拾っては投げを常に繰り返すべきなのだ。
だが前述のとおり、シャバは既に意味が遂行された安全宣言の荒野であった。
この旅をなんと呼ぶか。
声をかけてくれれば、丁寧じゃなくても、たとえそれが案内になっていなくても、帰ることができるのではないか。

http://www.quietroom-movie.com