日曜日, 4月 20, 2008

「世界」と「補完」など

人が造り出した芸術によって世界を補完しようとするのはもう過ぎたことであって、
世界は既に補完された。大きな仮定の下に。
いまは補完の檻に閉じ込められた世界を解放し、
世界を補完しきれぬものとして君臨させることが
世界を世界に返すこと。即ち、逆説的に言えば世界を補完することである。
それはいつも欠けた構造であり、いつも余剰を含んだ構造である。
この文章にはつまずく単語が数多く敷き詰められており、具体性が要求されている。
ただ、言葉が常に意味を求めているものであると同時に、意味を放棄したがっているものであるということ。
それを思い出せば、世界と言葉という二つを並べたとき、とても相性が良い関係だと改めて思う。
具体性。その単語については何が相性良く呼ぶことができるか。

などと、机の上空にある言葉を光で眼前へ押しつけては
補完しているのを知る。