言葉はキュークツという辻仁成の歌があった。あんなに甘く見え透いた言い回しで実は言葉を解放させてるなんて言いたくないと思う。でも面と向かって、言葉 にはどうも縛られてしまってと言われると、詩は言葉によって意味を超える実験だとか青いことを言ってしまう。それでも何も語れないよりはましで、何も問い かけられないほど悲しいことはない。果たして言葉はキュークツだなんて本当に思って、片仮名用いたりするもんかねと思い返す。田村隆一に石田由良の組み合 わせなんて嫌になり、「おじいちゃんにも、セックスを」のコピーがたとえ秀逸だとしても、それを甘く語られるなんてどうなんだろうと地団駄を踏む。もはや 呆れている場合ではない。消費は消費で流れて行く。いまは騒ぎに踊らされずシビアな日にいるかだ。
http://tkj.jp/koukoku/1998/003.html