金曜日, 12月 16, 2011

祖母の通夜

自分の人生で初めて、お通夜を過ごすという体験をした。叔父さんと共に、缶ビールを飲んで、テレビは原発のこととバラエティーを少し。何もすることは特にない。線香の火が絶えぬようにするにしても、渦巻き状になってくれているので、慌てなくても大丈夫。時折覗く。あとは横になる。熱を持った石に線香を擦り付ければ、火は続く。そんなイージーで良いというのが、いまの親族同士の向き合い方そのものである気もした。
みんな便利になっているのは良いことであろうし、手がかけられないくらい、手当は安く、言葉は拙い。
自分はおばあちゃんっ子だった。渡された手紙をスキャンして、iPad に入れている。あと五十年は働けます と書いてある。
夏休みを擬似体験で満喫するゲームなんて要らない。従兄弟らはみんな出始めのファミコンに夢中だった。
祖母は夜中に悪い冗談を言う。
常に何かを悔いて、リポビタンD とノーシンを絶やさなかった。
胃が強靭だからと皆 言ったし、実際にそうだった。
太平洋戦争はいやだった。電灯を消す話を期待して、思いのほか食いっぱぐれなかったとしても、別離の話は小学生には早すぎる。
早すぎるのは時間のことで、いつも思い出していたのだろう。
日々の出来事を書き留めた大学ノートを貰う。
挨拶をほのめかした手紙も、美術館の裏で綴るための絵も。
涙程度の水では、止むことはない火へ託していった。
思い出すことのできる者が話をする。
そのために今夜がある。火はそばにいられるきっかけだ。イージーでもいい。もともと気がまえることなんてない。
家族はそうなんだ。