土曜日, 3月 31, 2012

映画「311」後ろめたさとの対峙から

シネマテークにて「311」(共同監督, 森達也、綿井健陽、松林要樹、安岡卓治/2011)を見る。
本来、メディアは常に強く解答を提示するが、この映画『311』では、被災地に向けて明確な解答が出せないという本当のところを剥き出しにしている。極めて、裸になっている映画だ。
無力感に包まれる辛い終わり方は、そのまま、被災地を見る辛さだった。

上映後、森監督と安岡プロデューサーによるトーク。
被災地以外の日本に住む我々が持つ「後ろめたさ」との対峙が丁寧に語られた。被災しているわけでもないのに、テレビの前で泣きじゃくってしまっているなんて、ばかばかしいと思えるまで。それは滑稽さと、自分への問いかけと愚かさと実直な思いが入り交じる。

名古屋、東海地域はその気持ちに該当する。実は何も他人事ではない問題や要素を抱えながらも、経験の共有はできない。
愚かさ、偽善に向来き合って、何を理由にして自分は後ろめたさを了承させ、ここにカメラを向けているかを見つめ直す。被災地へカメラを向けることは、自分たち「映画」を撮っているという自意識を撮ることだった。
誰かのためにという正義感ではなく、がらがらに崩れ落ちている意識を見つけるため。

賛否両論とは作品が自立している証拠だろうと、監督は言葉を重ねた。

http://docs311.jp/