少年のなかで醸造された女性の存在は、実体を持たない。
それは自己循環を繰り返すだけの、幼い恋なのだった。
ヒゲオヤジがこっそり作っていたダッチワイフに入り込む理想の彼女。
「やけっぱちのマリア」(著, 手塚治虫/1970)は異様な構造を勢いで持っていくエネルギッシュに溢れる。中学生はいつでも純だろう。ケータイ裏サイトなんて見てたとしても、詩のひとつやふたつ指先で走り書きしてらい。
空き缶を引き鳴らし走って行く車から、新郎の手塚治虫は僕を振り返っていた。
http://ja-f.tezuka.co.jp/manga/sakuhin/m075/m075_01.html