日曜日, 2月 06, 2011

一緒に帰った人がいたと思う

乗り越えていくなかでは否定も起こりえる。健全な師と子の関係。それこそ芸術の学び舎であらんぞよとある巻物のような PDF 読み、すぐにそれが使用される。
地方の美術館が中央の作家で駆逐されていた時代に呆れるのはたやすい反応かもしれない。いまも地方では理解されぬまま若い世代が振興の名に駆逐しているとも言えるだろう。

言葉はやっぱり難しくて、それでも書きたくてと聞く。会話と綴り。
三者三様で日は過ぎる。
でも、実は単線で乗り換えているだけ。
走ったのにも関わらず、次の車両はものの五分で来た。降りると駅舎は貧困で煤けた広場になっている。電鉄会社によってこうも違う。
バスのちにまた単線へ。
どれも単線。
絵本の名店「メリーゴーランド」でお茶をする。
今日はずっとお茶をしている気分になる人らといる。

帰りのホームに着いた温泉行きの車両から降りて来たのは、偶然にも画家の伊藤宏先生だった。会うなり先日の感想と春の葉書を頂く。
満州からの帰りは、こうも寒かったのかと聞き続け、それでも生き続けてこられた話もあるらしかった。単線でも元気になり得た。一緒に帰った人がいたと思う。聞きたい。
先生が聞いた話は絵になって。木炭で綴らたのち、油で塗り固められた。